国家ハイテク産業開発区の開始(1988年)
国家ハイテク産業開発区は、ハイテク産業が集積する地区を中国全土に建設する目的で、1988年に開始された。
制定の経緯
鄧小平による改革開放政策の一環として、1980年に深圳、珠海、厦門、汕東の4地区が経済特区、1984年に上海、天津、広州、大連などの14の沿岸部諸都市が経済技術開発区に指定され、華僑や先進国の資本を積極的に導入することで、資本確保や国外からの技術移転などを目指した。これらの特区の設置は、商業のみならず工場誘致に広く門戸を広げたものであり、これに伴って工業生産が拡大し、1985年以降、軽工業、消費財部門が中国の工業化を牽引することになった。その結果、それまで国営企業が中心となって進めてきたエネルギー、運輸、素材などの産業部門が低迷し、産業の不均衡が生じた。
このような状況下で1988年に経済の持続的な発展のために採られた政策が、「国家ハイテク産業開発区:国家高新技术产业开发区」の設置であり、ハイテク産業が集積する地区を中国全土に建設しようとするものである。これは、1980年に導入された経済特区制度、1984年に開始した経済技術開発区を、さらに拡張させるものと捉えることができる。
国家ハイテク産業開発区の具体的な措置内容
同産業開発区は、すでにハイテク産業化の成果が豊富で、関連企業が集中し、ベンチャーへの意欲が豊富であり、金融支援のあるエリアを指定し、中国のハイテク産業の集中区域を発展させるものである。
同開発区では、製品輸出企業やハイテク企業への税などの優遇措置が取られ、先進技術レベルや国内外の市場および経済的効果のあるハイテク製品の開発が実施される。重点分野は新材料、バイオテクノロジー、電子・情報、先進製造、宇宙航空、環境保全、新エネルギー技術、省エネ技術などの分野に及ぶ。
なお中国初のハイテク産業開発区は、国家ハイテク産業開発区開始前の1985年7月に、中国科学院と深圳市により深圳市内に設けられている。
参考資料
・百度HP 『中国高新技术产业开发区』