学位条例の制定(1981年)

 学位条例は、文革後の1980年に欧米的な学位制度の確立を目指して制定された。これにより、中国国内の大学でも博士号の授与が可能となった。

学位条例の制定前

 中国においては、清朝末期の19世紀後半から各地に高等教育機関が設置され、その後国民党政府の時代の1935年に学位授与法が制定されていたが、ごく一部の修士(碩士)を除いて学士がほとんどで、博士の授与はなかった。

 新中国建国後に新しい学位授与制度の必要性を主張する人たちもいたが、学位はブルジョア階級のものであるとの考えや、大躍進政策や文化大革命などの政治的な混乱もあり、学位制度は確立されなかった。

 ただ、清朝期、国民党政権時、新中国建国後の時代を通じて、欧米や日本、ソ連などに留学生を派遣しており、これらの諸国で博士号を取得した人たちもかなりの数に上った。また、国内でも欧米のキリスト教団に由来する大学では博士号を授与した例もあった。

鄧小平の主導により学位条例制定

 文革終了後、科学技術は第一の生産力とし科学的な人材養成が経済発展の重要な手段だとする鄧小平が、欧米的な学位制度の確立を強く訴えたことから、国務院により「中華人民共和国学位条例」の草案が作成され、1980年2月に全国人民代表大会での承認を受けて1981年1月から施行された。

 同条例では、学位を「学士」「修士(碩士)」「博士」とし、大学などの高等教育機関が「学士」「修士(碩士)」「博士」を、研究開発機関が「修士(碩士)」「博士」をそれぞれ授与できるとしている。さらに、学位授与機関となるためには、教育部に付置されている国務院学位委員会の審査と承認が必要としている。

参考資料

・百度HP 『中华人民共和国学位条例