The founding era of the People's Republic of China

 ここでは、1949年に中国共産党により設立された中華人民共和国の建国期の歴史を概観し、科学技術に関係する政策、事件などについて触れる。

天安門で建国を宣言する毛沢東の写真
建国期の科学技術政策の概要

建国期の科学技術政策は、日中戦争や国共内戦での破壊と混乱を経て、経済を発展させて国力を増強させることを主眼としたもので、スローガンは、「科学に向かって邁進(向科学進軍)」であった。

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中国の科学技術の総本山である中国科学院
中国科学院の設置

中国科学院は、国民政府時代の中央研究院や北平研究院を接収し、新時代の枢要な科学技術機関を目指して設置された。

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国外の科学者の帰国

新中国政府は、海外に在住する優れた科学者に対し帰国と新国家建設への参加に向けた働きかけを行った。多くの科学者が帰国し、国内で活躍することとなった。

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ソ連のコルホーズ
ソ連との科学技術協力

ソ連との科学技術協力は、米ソ冷戦という世界情勢の中でソ連を始めとする社会主義国陣営の一員になった新中国にとって、必要不可欠であった。

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友諠賓館
専門家招待処の設置 

ソ連の専門家の受入れ業務をスムーズに行うため、「専門家招待処」が設置された。これは中国最初の外国専門家向けのサービス管理機構となった。

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1952年の院系調整
院系調整~大学学部の抜本的再編成~

院系調整は、新中国建設を進める際に多くの技術者などを必要としたため、1952年にソ連に倣って行った大学の学部再編政策である。

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高考の試験風景の写真
高考の開始

高考の開始は1952年であり、高考により中国全土の大学入試が統一・共通化され、その後の大学の発展に重要な役割を果たした。

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会堂の写真
中国科学院学部委員(現中国科学院院士)

中国科学院学部委員は、科学者の智恵を結集し中国の科学技術を振興するため指名されるもので、1955年に開始された。現在は、中国科学院院士と呼ばれており、中国の科学者の最高栄誉と考えられている。

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科学に向かって邁進 周恩来の演説
「科学に向かって邁進(向科学進軍)」

科学に向かって邁進(向科学進軍)は、1956年に周恩来国務院総理が中国の科学技術情勢について行った演説のテーマであり、1949年から1960年代までの中国の科学技術のスローガンとなった。

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科学技術部の正門の写真
科学計画委員会(現科学技術部)の設置

科学計画委員会は、国務院内の科学技術政策の立案機関として1956年に設置された。現在は、国務院科学技術部となっている。

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遠景計画のアイキャッチ写真
遠景計画(科学技術発展遠景計画綱要)

遠景計画(正式名称:科学技術発展遠景計画綱要(1956年~1967年))は、1956年に公表された中国政府初の中期的な計画である。

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聶栄臻の写真
両弾一星政策の開始

両弾一星政策の開始は1956年頃であり、第二次世界大戦の戦勝国としての立場を確保することをも念頭に、核兵器・ミサイル開発と人工衛星開発を決断した。

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大躍進政策の宣伝画の写真
十四条の意見の公表

十四条の意見(正式名称:「自然科学研究機関の当面の活動に関する十四条の意見(草案):关于自然科学研究机构当前工作的十四条意见(草案)」)は、大躍進政策やその後の天災などの影響で苦境に陥った科学技術の秩序回復を目指して公表された中国共産党の政策である。

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人民大会堂
「科学技術発展計画綱要(1963年~1972年)」

大躍進後の政治改革や経済調整の実施により、経済が徐々に立ち直りつつあった1963年に、前記の科学技術発展遠景計画綱要策定後における中国と世界の科学技術発展状況を踏まえ、「科学技術発展計画綱要:科学技术发展规划纲要(1963年~1972年)」が策定された。

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参考資料

・JST中国総合研究・さくらサイエンスセンター『中国の科学技術の政策変遷と発展経緯(PDF)』2019年
・天児慧『中華人民共和国史』岩波新書 2013年
・天児慧『中国の歴史11 巨龍の胎動』講談社 2004年
・安藤正士『現代中国年表1941-2008』岩波書店 2010年