科学計画委員会の設置(1956年)
科学計画委員会は、国務院内の科学技術政策の立案機関として1956年に設置された。現在は、国務院科学技術部となっている。
新中国建国以来、優れた科学者を多数擁する中国科学院が科学技術の基本的な方向を示してきたが、1954年の国務院改革により中国科学院は政策担当機関ではなく研究実施機関と位置づけられた。1956年3月に国務院は科学技術政策の担当機関の不在を埋めるため、陳毅副首相を主任とする科学計画委員会(科学规划委員会)と国家技術委員会を設置し、前者の科学計画委員会に最初の中長期計画である科学技術発展遠景計画綱要の策定を担当させた。
1958年に国務院は、科学計画委員会と国家技術委員会を統合して国家科学技術委員会を設置し、聂荣臻副首相を主任に兼務させた。これが現在の科学技術部の前身である。
文化大革命勃発後、国家科学技術委員会の業務はほとんど停止し、1970年には中国科学院に吸収された。文革後の1977年9月に中国科学院から分離され、方毅副首相兼中国科学院副院長(後に院長に昇格)が主任を兼務した。同委員会は、1998年に現在の科学技術部に名称が変更された。
参考資料
・科学技術部HP http://www.most.gov.cn/