参考 中国のシステム・情報科学技術分野の特徴(2023年)
ここでは、どの研究開発領域で中国が世界を牽引しているか、逆にどの領域で中国が世界から後れを取っているかを述べたい。
使用したデータはJST/CRDSの2023年俯瞰報告書にある記述であり、この記述を元に林がとりまとめている。従って、以下の内容の文責は筆者にある。
1. 中国の優れた領域
システム・情報科学技術分野で、中国が世界トップあるいはトップレベルと目される研究開発領域は、全体で11領域である。その根拠は、前ページ3.の表の中で基礎フェーズおよび応用・開発フェーズがそれぞれ◎となっている研究開発領域とした。
以下に、これら11の研究開発領域を列記し、その根拠となる内容を記す。
(1)言語・知識系のAI技術
・他の国・地域との対比
米国は◎◎、欧州と日本は○○、韓国は△○であるので、中国は米国と並び世界トップレベルにある。
・領域の定義
知能を知覚・運動系と言語・知識系という2面で捉えた後者を指す。具体的には、自然言語の解析・変換・生成などを行う自然言語処理(Natural Language Processing)、知識の抽出・構造化・活用を行う知識処理(Knowledge Processing)などである。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
北京大学・清華大学などの有力大学やMicrosoft Research Asia、Baiduなどの民間企業の研究所を中心に基礎研究が進められている。ACLなどのトップ国際会議でも論文採択数は米国に次いで中国が2位である。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
中国政府は2017年7月に次世代AI発展計画を発表し、AI産業を強力に推進している。自然言語処理分野ではMicrosoftやBaidu(百度)が目に付く。Microsoftは2014年からチャットボットXiaoice(シャオアイス)を公開しており、ソーシャルネットやメッセージングのアプリケーションに導入され、世界中で6.6億人のユーザーがいるという。 BaiduはWebサーチエンジンで実績があるほか、BERTを改良したERNIEも開発している。
(2)ロボティクス~制御
・他の国・地域との対比
米国、欧州、韓国は○◎、日本は○○であるので、中国は世界トップである。
・領域の定義
ロボットの制御に関わる研究開発領域である。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
IEEEでのMotion Controlを題材とした論文では中国発のものの割合が非常に増えている。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
国家プロジェクト「製造業基盤能力の強化プロジェクトの重点製品、製造工程『一頭の龍』応用計画」にてロボット用コントローラを扱う企業を対象とした金融機関からの支援の実施など国を挙げての活動が見られる。
(3)ロボティクス~農林水産ロボット
・他の国・地域との対比
米国は◎◎、欧州、日本、韓国は○◎であるので、中国は米国と並び世界トップレベルにある。
・領域の定義
農業(施設園芸、露地栽培、果樹栽培)、林業、水産業に対して、地域資源の最大活用、脱炭素化、労力軽減・生産性向上等の実現するためのロボット技術である。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
政策によりロボット研究、スマート農業の関連予算が潤沢で、土地利用型作物・施設園芸、いずれも多くの大学、公的研究機関で要素技術研究を実施している。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
土地利用型農業ロボットに力を入れており、上海、広州等で無人農場の実証実験が行われている。施設園芸用収穫ロボットについてもIT企業、農業施設・機械企業複数社が実証研究を行っている。
(4)社会システム科学~計算社会科学
・他の国・地域との対比
米国は◎◎、欧州、韓国は○◎、日本は△○であるので、中国は米国と並び世界トップレベルにある。
・領域の定義
計算社会科学(computational social science)とは、ビッグデータやコンピューターの活用が可能にするデジタル時代の社会科学である。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
清華大学や香港城市大学などに計算社会科学の研究グループができ、日本を抜く勢いで研究者人口が増えている。実際、計算社会科学の論文の量と質が劇的に向上している。また、欧米の大学で学位を取得し、PIとして海外で研究室を主宰する中国人研究者が増えている。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
AIに関する主要な国際会議(ICML、KDD、IEEE系)での中国のプレゼンスは、米国をしのぐ勢いで高まっている。また、テンセント、アリババ、バイドゥなど米国シリコンバレーに匹敵するIT企業や社会実験のしやすい環境から、AI技術の社会応用ではこの分野をリードする可能性がある。
(5)コンピューティングアーキテクチャ~プロセッサーアーキテクチャ
・他の国・地域との対比
米国は◎◎、欧州は○○、韓国は○△、日本は△△であるので、中国は米国と並んで世界トップレベルにある。
・領域の定義
コンピューティングにおいて中心的な役割を果たすプロセッサーデのアーキテクチャー(Architecture)技術であり、アーキテクチャーとは計算機ハードウェアの基本様式、基本構造、設計思想などを指す。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
優れた研究成果を発表し続けている。巨額の国費を投資して技術開発を振興しており、清華大学や中国科学院の成果が目立っている。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
米国には劣るものの、BAIDUやAlibabaなどのプラットフォーマーを有し、積極的にアーキテクチャー分野に投資している。30社以上のAIハードウェアスタートアップ企業が生まれているといわれており、例えば、その一つであるユニコーン企業のCambricon社の技術がHUAWEI社のスマートフォンに搭載されている。
(6)コンピューティングアーキテクチャ~データ処理基盤
・他の国・地域との対比
米国は◎◎、欧州◎○、韓国は○○、日本は○△であるので、中国は米国と並んで世界トップレベルにある。
・領域の定義
多数の計算機あるいはメニーコアを搭載するなどのハイエンドな計算機を利用することで、大規模なデータ(ビッグデータ)に対する処理を効率的に実行する基盤的ソフトウェア技術を確立する領域である。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
大学が中心となって基礎研究において多く成果を挙げている。近年の中国からのデータベース系の難関国際会議への投稿数・採択数とも米国に次いで世界第2位になってきている。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
Alibabaが商業的に成功しており、Eコマース業界からクラウド業界へと進出を果たしている。中国全体としてスタートアップ企業が好調である。
(7)コンピューティングアーキテクチャ~IoTアーキテクチャー
・他の国・地域との対比
米国は◎◎、欧州は○○、日本、韓国は△○であるので、中国は米国と並び世界トップレベルにある。
・領域の定義
膨大な数のセンサーや端末がネットワークに接続されるIoT時代において、実世界と情報世界を高度に融合するコンピューティング環境を実現するための技術である。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
5G/AI/バイオいずれも圧倒的な世界的特許の数。研究開発への国家予算の規模が桁違い。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
米国の制裁を受けてもたじろがない、独立した独自サービスの充実と、それを十分に支えてけん引するマーケット。
(8)コンピューティングアーキテクチャ~デジタル社会基盤
・他の国・地域との対比
米国、欧州は◎○、日本は○○、韓国は△○であるので、中国は世界トップにある。
・領域の定義
センサーやスマートフォンなどのIoT機器を用いた複数のセンシング情報を組み合わせ、それらの経時的な変化などを収集・分析することで、自動運転や街のエネルギー削減、防災・減災など街のスマート化や、健康管理、高齢者見守り、未病改善など人の健康や医療・介護に資することを可能にするものである。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
AIや5G関連研究に多額の国費をつぎ込んでいる。特に、国民に関するデータを用いて社会の分析や予測に関する研究が進んでいる。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
国全体で監視カメラとAIのネットワークを整備し応用が進んでいる。スマートシティー関連技術を欧州などに輸出しようとしているが、個人情報保護や国の安全保障の問題などがある。
(9)通信・ネットワーク~光通信
・他の国・地域との対比
米国は◎◎、欧州、日本は◎○、韓国は○△であるので、中国は米国と並び世界トップレベルにある。
・領域の定義
光ファイバー上で光信号を送受信することで実現される通信技術である。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
大学・研究機関から有力論文誌への発表数が多く、国際会議運営や査読委員等、おのおのの研究者のプレゼンスも増大している。かねてより主要国際会議OFCでの投稿数も増加を続けていたが、最近は投稿数のみならず採択数・関連論文数が非常に多くなっている。これは研究費の増大だけによるものでなく、研究者の能力とテーマのレベルが飛躍的に向上しているためといえる。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
光ファイバー・デバイス等、あらゆる領域で研究開発が盛んに行われており、数年前から主要国際会議のエキシビションでも存在感を示している。広大な国土に光ファイバーを多数敷設し高速通信インフラを構築したとされ、国家全体での生産能力も大変優れている。
(10)通信・ネットワーク~ネットワーク運用
・他の国・地域との対比
米国、欧州は◎◎、日本は○○、韓国は△△であるので、中国は米国、欧州と並び世界トップレベルにある。
・領域の定義
携帯電話基地局、ルータ、サーバー等の多種多様な設備・機器を用いて構築される通信ネットワークを、24時間365日運用・提供するための技術である。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
ネットワーク関係の最難関国際会議での発表件数が10件と全体の28%を占めて第2位である。特に近年での発表件数の急速に増大している。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
標準化に特に力を入れており、5G関連のネットワーク運用製品開発が盛ん。TM Forum Catalystにおいても欧州に次ぐ参加数である。基礎研究と同様に急速に勢いを増している。
(11)通信・ネットワーク~ネットワークコンピューティング
・他の国・地域との対比
米国、欧州は◎◎、日本は◎○、韓国は○○であるので、中国は米国、欧州と並び世界トップレベルにある。
・領域の定義
社会基盤としてのネットワークを提供するとともに、ネットワーク層で計算処理を実行することを可能とする技術である。
・中国が基礎研究で◎となった根拠
研究開発から標準化活動における国家的な取り組みの枠組みが形成されつつある。Beyond 5G(6G)の技術開発を2016年から推進。2018年の国家重点研究開発プログラムでは大容量通信、 ミリ波/THz波通信、 宇宙・地上統合ネット、 ネットワークインテリジェンスの4つに注力することを表明。
・中国が応用研究・開発で◎となった根拠
都市部での5Gの基地局整備やスマート指定のプロジェクトなど社会実装が急速に進んでいる。Beyond 5G(6G)に関する研究開発の推進が進む。
2. 中国の後れている領域
システム・情報科学技術分野で、中国が他国や領域に後れている研究開発領域は、全体で5領域である。その根拠は、上記参考1の表の中で基礎フェーズおよび応用・開発フェーズがそれぞれ△あるいは×となっている研究開発領域とした。
以下に、これら5の研究開発領域を列記し、その根拠となる内容を記す。
(1)人工知能・ビックデータ~認知発達ロボティクス
・他の国・地域との対比
日本、欧州は○○、米国、韓国は△△であるので、中国は米国、韓国と並び後れたレベルにある。
・領域の定義
ロボットや計算モデルによるシミュレーションを駆使して、人間の認知発達過程の構成論的な理解と、その理解に基づく人間と共生するロボットの設計論の確立を目指した研究領域である。
・中国が基礎研究で△となった根拠
認知発達過程を探求しようという取り組みはほとんど見られない。
・中国が応用研究・開発で△となった根拠
基礎研究と同様である。ただし、中国は応用開発のスピードが極めて速く、認知発達の応用が開けてくると、急参入の可能性がある。
(2)人工知能・ビックデータ~社会におけるAI
・他の国・地域との対比
米国、欧州は◎◎、日本は◎○、韓国は△△であるので、中国は韓国と並び後れたレベルにある。
・領域の定義
人工知能(AI)技術が社会に実装されていったときに起こり得る、社会・人間への影響や倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues:ELSI)を見通し、あるべき姿や解決策の要件・目標を検討し、それを実現する制度設計および技術開発を行うための研究開発領域である。
・中国が基礎研究で△となった根拠
個人情報保護も含む中国インターネット安全法(中華人民共和国網絡安全法)の制定、次世代AIガバナンス原則などの公表が行われたものの、その実践面においては顕著な進展は見られない。
・中国が応用研究・開発で△となった根拠
倫理・プライバシー保護面の取り組みは弱いが、AI技術開発とその社会
実装への取り組みは急成長している。中国独自のAI監視・管理社会のための技術開発・システム化も注目される。
(3)セキュリティー・トラスト~人・社会とセキュリティー
・他の国・地域との対比
米国、欧州は◎◎、日本は○△、韓国は△×、中国は××であるので、中国は今回比較した国や地域の中で最も後れたレベルにある。
・領域の定義
情報サービスのユーザーの観点からセキュリティーの問題を解決し、社会に受容され人々に活用され、社会を守るセキュリティー技術の研究開発を行う領域である。
・中国が基礎研究で×となった根拠
顕著な成果はみられない。
・中国が応用研究・開発で×となった根拠
顕著な成果はみられない。
(4)通信・ネットワーク~ネットワークサービス実現技術
・他の国・地域との対比
米国は○◎、日本、欧州は◎○、韓国は△○であるので、中国は今回比較した国や地域の中で最も後れたレベルにある。
・領域の定義
高度化・複雑化・多様化するネットワーサービスの実現をめざすネットワーク構築・構成技術である。
・中国が基礎研究で△となった根拠
IMT–2030 Promotion GroupにおいてネットワークにAIをインテグレートした技術開発を推進。
・中国が応用研究・開発で△となった根拠
6G Alliance of Network AIにおいてAIOpsや自律性ネットワークの実証を実施。
(5)数理科学~因果推論
・他の国・地域との対比
米国、欧州は◎○、日本は○○、韓国は△△であるので、中国は韓国と並び後れたレベルにある。
・領域の定義
数理科学的に述べられた因果関係の推定・理解により課題解決を目指して意思決定を支援する手法を提示するための研究領域である。
・中国が基礎研究で△となった根拠
北京大学や清華大学、広東工業大学などに拠点が形成されつつある。深層学習など機械学習研究者との連携もよくなされているが、まだ層が厚いとは言えないだろう。嚆矢となるような仕事についても目立った活動はまだ見られない。清華大学がDonald B. Rubin教授を迎えるなど力を入れていることは伺える。
・中国が応用研究・開発で△となった根拠
AlibabaやHuawei等の企業において、因果推論に関する論文発表が行われている。