「科学技術体制改革に関する決定(1985年)」

 科学技術体制改革に関する決定は、科学技術活動の運営、組織構造、人事制度の改革を行うことにより、科学技術と経済社会の調和のある発展を促進することを目指し、共産党中央が1985年に公表した。

科学技術体制改革に関する決定の経緯

 1985年3月中国共産党中央委員会は、科学技術体制改革を実行し改革開放政策をよりいっそう進展させるため、「科学技術体制改革に関する決定:关于科学技术体制改革的决定」を公表した。

 これまでの中国は、科学技術を重視せず資源・設備などに依存する「粗放式」経済であったため、先進諸国に比較して経済効率が悪い状況にあった。一方、国内の科学技術体制は伝統的で閉鎖的であり、科学者や技術者の知恵と創造が十分に生産活動に反映されず、結果として科学技術の成果の生産への応用はきわめて少なくまた時間が長くかかるため、生産の中で早急に解決すべき技術的課題が長期にわたって存在し続けるという課題が存在していた。

 このような状況を変えるために、科学技術活動の運営、組織構造、人事制度の改革を行うことにより、科学技術と経済の連携を促進し、科学技術者にその役割を十分に発揮させ、科学技術の成果を迅速に生産に応用し、科学技術と経済社会の調和のある発展を促進することを目指している。

科学技術体制改革に関する決定の内容

 具体的な内容の一つ目は研究機関の運営改革である。これまで科学技術活動を行政的な考えにより管理してきた結果、研究者の自主性が損なわれ、また、経済活動に十分貢献できなかった。これを改め、政府の干渉が多すぎる弊害を排除し、自己発展と経済建設サービスの活力を維持しようとするものである。これに合わせて、研究機関に対する政府の資金拠出制度を改革し、異なる種類の科学技術活動の特徴にしたがって経費の分類管理を行うこととした。

 二つ目は、研究機関の整理統合である。中国では、多くの研究機関が自ら企業を有していたり、軍事用と民事用の研究が一体で行われていたり、全く違う種類の研究が同じところで行われていたり、連携すべき機関が地域的に離れていたりして、研究開発が効率的でなかったり、研究成果と生産活動への応用が十分行われてこなかった。そこで、研究機関が有する企業を分離し、また軍民の分割、部門分割、地域分割の状況を変更することにより、研究機関や大学と企業間の協力連携を促進し、企業の技術的吸収と開発能力の強化し、研究と生産の効率化を図ることとした。

 三つ目は人事制度の改革である。これまで知識人は反革命的であるとの文革時代の考え方から、研究者に対して多くの制限が残存し、人材が合理的に流動しない、知的労働が尊重されないといった弊害があった。これを改め、必要なところに人材が配置され、研究成果が迅速に生産に応用され、経済と社会の発展を促進するため、研究者の待遇に関する改革を図ることとした。

決定の効果

 この決定に基づき、肥大化した多くの公的研究機関が整理統合されたり、民間機関に転換したりした。従来の公的機関は、ⅰ)基礎研究を中心とする機関、ⅱ)技術開発を中心とする機関、ⅲ)社会公益的研究や農業研究を行う機関の3つに分類され、ⅰ)は全体ではなく一定額の補助に留める、ⅱ)は政府からの事業費を縮小し5年以内に政府機関としての活動を停止する、ⅲ)は請負制によって政策ニーズに対応した研究が義務付けるという厳しい方針が打ち出された。その結果、1991年までに公的研究機関の約5分の1の事業が停止した。
 また、科学技術と生産の連携については、技術市場の形成の基盤となる「特許法」や「技術契約法」が制定され、一方イノベーション市場促進策としては、ハイテク産業開発試験区の制定や技術交流や技術コンサルティングを業務とする民間科技企業の設立が奨励された。

(参考資料)
・中国経済网HP 『中共中央关于科学技术体制改革的决定