中央研究院と北平研究院
中央研究院と北平研究院の設置は、辛亥革命後の混乱期を経て国民政府の時代における科学技術振興の重要な施策であった。その後の日中戦争や国共内線後を経て、中央研究院と北平研究院の資産や人員は、中華人民共和国建国後の中国科学院に受け継がれた
大学・研究機関の疎開~日中戦争激化
国民政府の時代に順調に発展した中国の大学や研究機関であったが、日中戦争が勃発し日本軍が北京、上海、南京などを占領すると、政府の大陸西部への移転とともに、大学や研究機関も西部への疎開を余儀なくされた。
建国期の科学技術政策の概要
建国期の科学技術政策は、日中戦争や国共内戦での破壊と混乱を経て、経済を発展させて国力を増強させることを主眼としたものであった。建国期の科学技術政策を表すスローガンは、「科学に向かって邁進(向科学進軍)」であった。
中国科学院学部委員(現中国科学院院士)
中国科学院学部委員は、科学者の智恵を結集し中国の科学技術を振興するため指名されるもので、1955年に開始された。現在は、中国科学院院士と呼ばれており、中国の科学者の最高栄誉と考えられている。
盧煜明(デニス・ロー)
盧煜明(デニス・ロー、1963年~)香港中文大学教授は、現在中国や日本を含めて世界中で行われている、非侵襲的出生前診断の技術を開発した。盧煜明は、現在最もノーベル賞受賞の可能性が高い中国系科学者の一人である。
シン=トゥン・ヤウ(丘成桐)
シン=トゥン・ヤウ(丘成桐、1949年~)ハーバード大学教授は、1982年に中国系として初めて、フィールズ賞を受賞した数学者である。フィールズ賞受賞後も優れた研究成果を残し、いくつかの著名な国際賞も受賞している。
中国の科学技術の現状
本記事は、中国の科学技術の現状 について、日本国際貿易促進協会が旬刊誌として発行している「国際貿易」の2022年12月25日・2023年1月5日合併号に投稿した記事を紹介するものである。
「科学に向かって邁進(向科学進軍)」
科学に向かって邁進(向科学進軍)は、1956年に周恩来国務院総理が中国の科学技術情勢について行った演説のテーマであり、1949年から1960年代までの中国の科学技術のスローガンとなった。
「科学技術発展計画綱要(1963年~1972年)」
大躍進後の政治改革や経済調整の実施により、経済が徐々に立ち直りつつあった1963年に、前記の科学技術発展遠景計画綱要策定後における中国と世界の科学技術発展状況を踏まえ、「科学技術発展計画綱要:科学技术发展规划纲要(1963年~1972年)」が策定された。