国家重点実験室の開始(1984年)
国家重点実験室は、限られた研究資源や研究人材を特定の実験室に集中させ、世界水準の研究を実施させることを目指し、国務院が1984年に指定を開始した。
星火計画~農村の技術と農村企業の支援
星火計画は、国家科学技術委員会が1985年に開始した農村の技術向上と農村企業の支援に特化したプログラムであり、農村の活性化に貢献するものである。
科学技術体制改革に関する決定(1985年)
科学技術体制改革に関する決定は、科学技術活動の運営、組織構造、人事制度の改革を行うことにより、科学技術と経済社会の調和のある発展を促進することを目指し、共産党中央が1985年に公表した。
国家自然科学基金委員会(NSFC)~競争資金導入
国家自然科学基金委員会(NSFC)は、大学や研究機関の基礎研究に対して競争的な資金援助することを目的に、1986年に国務院に設置された。
中関村ハイテクパーク~ハイテク企業の育成
中関村ハイテクパークは、国務院が1988年に国家ハイテク産業開発政策の一環として、ハイテク企業の誘致と育成を図るため北京市海淀区に設置した。
科学技術体制の深化に関わる若干の問題の決定
科学技術体制の深化に関わる若干の問題の決定は、研究機関に競争的なメカニズムの導入し、研究機関の所有と経営管理の分離などを促すものであった。
洋務運動 ~ 清末の西洋化政策
洋務運動は、アヘン戦争などで科学技術力の後れを自覚した清朝政府が実施した西洋化政策である。「中体西用」をスローガンとしたが、清朝を立て直すことは出来なかった。
京師同文館の設立~京師大学堂に吸収
京師同文館は、清朝の末期に当たる1862年に設立された教育機関である。当初は外国語習得機関であったが、徐々に近代科学も教える高等教育機関となり、辛亥革命の直前に設立された京師大学堂に吸収された。
留美幼童~中国初の留学生政策
留美幼童政策は、洋務運動の一環として中国史上で初めて実施された、政府による留学生政策である。曾国藩らが主導し1872 年から4年間にわたり、合計120名に上る大陸沿岸部の少年達を米国に派遣した。
京師大学堂 ~ 北京大学の前身
京師大学堂は、日清戦争の敗北を受け光緒帝が主導した戊戌の変法で、1898年に設置された高等教育機関である。辛亥革命後に国立北京大学と改称され、現在の北京大学につながっている。
庚款留学生制度と清華学堂
庚款留学生制度は、義和団事件による賠償金を米国が返還することにより設置された、中国人学生の米国への留学制度である。また庚款留学生の準備教育のために設置されたのが清華学堂であり、現在の清華大学の前身である。