はじめに

 長春光学精密機械・物理研究所 (Changchun Institute of Optics, Fine Mechanics and Physics) は、吉林省長春市にある中国科学院の附属研究機関である。

応用光学、精密機械、宇宙科学などのハイエンド機器、IC関連機器などの研究開発を行っている。

 両弾一星政策に関与して設立された機関の一つである。

長春光学精密機械・物理研究所の外観写真
長春光学精密機械・物理研究所  同研究所HPより引用

1. 名称

○中国語表記:长春光学精密机械与物理研究所  略称 长春光机所
○日本語表記:長春光学精密機械・物理研究所
○英語表記:Changchun Institute of Optics, Fine Mechanics and Physics  略称 CIOMP

2. 所在地

 長春光学精密機械・物理研究所本部の所在地は、吉林省長春市東南湖大路3888号にある。

 長春市は、中国の東北部(旧満州)に位置し、吉林省の省都である。市区人口は358万人、都市圏人口は750万人である。
 市内には、中国最大級の規模を誇る吉林大学を含む27の国立大学や、長春光学精密機械・物理研究所など100余の科学研究施設を抱え、科学技術人員の比重は中国でもトップクラスである。また、中国における自動車工業と映画製作の拠点でもある。

 1932年から1945年までは満洲国の首都とされ、新京と呼ばれた。市内には当時の建築物が多く残っている。なお、中国では満州国を国家として認めておらず、「伪满洲国(偽満州国)」と呼ぶ。

3. 沿革

 長春光学精密機械・物理研究所は、1990年に光学精密機械研究所と長春物理研究所を統合して設立された。

(1)光学精密機研究所

 光学精密機械研究所(光学精密器械所)は、1952年に設立された中国科学院・機器館(仪器馆)が母体である。

 機器館は、1957年に光学精密機器研究所(光学精密仪器所)に、さらに1960年には光学精密機械研究所(光学精密器械所)となった。同研究所は、この頃から両弾一星に関与していく(下記8.の特記事項参照)。

 文化大革命が開始されると、革命派の介入を避けるため、周恩来らは両弾一星に関係する研究機関を人民解放軍に避難させる政策を取り、光学精密機械研究所も人民解放軍直属の研究所となった。

 文化大革命終了直前の1976年に中国科学院の附属研究機関に復帰し、名称も光学精密機械研究所(光学精密器械所)に戻った。

(2)長春物理研究所

 長春物理研究所の母体は、1958年に設立された吉林金属物理研究所(吉林金属物理所)である。

 その後、1960年に吉林物理研究所(吉林物理所)、1962年に東北物理研究所(東北物理所)、1968年に再び吉林物理研究所、と数度改名した。

 文化大革命が開始されると、吉林物理研究所は1968年に廃止となった。

 文化大革命終了後の1979年に再建され、長春物理研究所(長春物理所)となった。

4. 組織の概要

(1)研究分野

 長春光学精密機械・物理研究所は、発光、応用光学、精密機械、宇宙科学などのハイエンド機器、生物医学などへの光電子応用、IC関連機器開発などの分野における研究開発を行っている。

(2)研究組織

①国家級の研究室・実験室

・応用光学国家重点実験室(後述)
・発光学・応用国家重点実験室(後述)

②中国科学院級研究室・実験室

・光学系システム先進製造技術重点実験室
・航空光学成像・测量重点実験室

③研究所級研究室・実験室(例示)

・宇宙光学研究一部、二部、三部
・航空画像・測量技術研究一部、二部、三部
・画像処理技術研究部
・光電検出技術研究部
・宇宙新技術研究部
・ビーム精密制御研究室

(3)研究所の幹部

 長春光学精密機械・物理研究所の幹部は、所長、中国共産党委員会(党委)書記、副所長、副書記である。大学などでは、党委書記の方が学長より強い権限を有しているが、中国科学院の付属研究所の場合には所長が最高責任者の場合が多い。

①張学軍・所長

 張学軍(张学军)長春光学精密機械・物理研究所所長は、1968年に吉林省長春市で生まれ、1990年に吉林工業大学金属材料工学科で学士の学位を、1993年に長春光学精密機械・物理研究所で修士の学位を、1997年にやはり長春光学精密機械・物理研究所で博士の学位をそれぞれ取得した。その後1年間米国アリゾナ大学でポスドク研究を行った後、中国科学院の百人計画に当選して帰国した。2023年から長春光学精密機械・物理研究所所長を務めている。専門は高性能宇宙光学システム技術の研究で、2023年に中国工程院の院士に当選している。

②金宏・党委書記兼副所長

 金宏長春光学精密機械・物理研究所党委書記は、副所長も兼務しており、研究所のナンバーツゥーである。詳しい履歴はHPなどにない。

5. 研究所の規模

(1)職員数

 2021年現在の長春光学精密機械・物理研究所職員総数は1,981名で、中国科学院の中では第3位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。1,981名の内訳は、研究職員が1,823名(92%)、技術職員(中国語で工員)が141名(7%)、事務職員が17名(1%)である。

(2)予算

 長春光学精密機械・物理研究所の2021年予算額は39億4,433万元で、中国科学院の中では第3位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。39億4,433万元の内訳は、政府の交付金が8億0,823万元(20%)、NSFCや研究プロジェクト資金が29億5,683万元(75%)、その他が1億7,927万元(5%)となっている。

(3)研究生

2021年現在の長春光学精密機械・物理研究所の研究生総数は1,176名で、中国科学院の中では第5位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。1,176名の内訳は、修士課程の学生が623名、博士課程の学生が553名である。

6. 研究開発力

(1)国家級実験室など

 中国政府は、国内にある大学や研究所を世界レベルの研究室とする施策を講じている。この施策の中で最も重要と考えられる国家研究センターと国家重点実験室であり、中国科学院の多くの研究機関に設置されている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

 上記組織の項でも述べたが、長春光学精密機械・物理研究所は2つの国家重点実験室を有している。

応用光学国家重点実験室(应用光学国家重点实验室):1986年に国の認可を受け、1990年から研究を開始した。応用光学やオプトエレクトロニクス分野での基礎研究および関連応用研究を実施している。2021年現在で、正規研究員が124名、客員研究員が38名、研究生としてポスドク2名、博士学生79名、修士学生76名である。
発光学・応用国家重点実験室(发光学及应用国家重点实验室):この実験室の前身は1989年に設置された「中国科学院励起状態物理重点実験室(中国科学院激发态物理重点实验室)」である。2012年に国家重点実験室に格上げされた。効率的なルミネッセンス、レーザー、オプトエレクトロニクスディスプレイ、光電変換などの新しいオプトエレクトロニクス機能材料を研究する。2021年現在で、正規研究員が100名、客員研究員が6名、研究生として博士学生60名、修士学生33名である。

(2)大型研究開発施設

 中国科学院は、同院や他の研究機関の研究者の利用に供するため大型の研究開発施設を有している。大型共用施設は、専用研究施設、共用実験施設、公益科学技術施設の3つのカテゴリーがある(中国科学院内の設置状況詳細はこちら参照)。

 長春光学精密機械・物理研究所は、大型共用施設・共用実験施設は有していない

(3)NSFC面上項目獲得額

 国家自然科学基金委員会(NSFC)の一般プログラム(面上項目、general program)は、日本の科研費に近く主として基礎研究分野に配分されており、中国の研究者にとって大変有用である。長春光学精密機械・物理研究所のNSFCの獲得資金額は、2021年1,266万元(件数は21件)であり、中国科学院の中では第20位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

7. 研究成果

(1)Nature Index

 科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。Nature Index2022に基づく、中国科学院内の附属研究機関のランキングはこちらであるが、長春光学精密機械・物理研究所は論文数で4.34であり、ランク外となっている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

(2)SCI論文

 上記のNature Indexはトップレベルの論文での比較であり、より多くの論文での比較も重要である。しかし、中国科学院は各研究所ごとの論文数比較を出来るだけ避け、中国科学院全体での比較を推奨している。このため、SCI論文などで研究所ごとの比較一覧はない。

 ただ、研究所によっては自らがどの程度SCI論文を作成しているかを発表している。長春光学精密機械・物理研究所もその一つであり、中国科学院年鑑2022によれば、2021 年においてSCI論文299件発表した。
 なお、この数字を中国の主要大学のそれと比較すると、清華大学、北京大学、上海交通大学などが年間でSCI論文を約10,000件前後発表している(大学間での比較の詳細はこちら参照)。したがって中国の主要大学と比較すると、かなり小さい。

(3)特許出願数

 2021年の長春光学精密機械・物理研究所の特許出願数は733件で、中国科学院内で第4位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。

(4)成果の移転収入

 2021年の長春光学精密機械・物理研究所の研究成果移転収入は、公表されていない。中国科学院内の付属機関のランキングはこちらであるが、長春光学精密機械・物理研究所はランク外である。

(5)両院院士数

 中国の研究者にとって、中国科学院の院士あるいは中国工程院の院士となることは生涯をかけての夢となっている。2024年5月時点で長春光学精密機械・物理研究所に所属する両院の院士は4名である。中国科学院附属研究機関の院士数のランキングはこちらを参照されたい。長春光学精密機械・物理研究所はランク外である。

○中国科学院院士(3名):陈星旦、王家骐、王立军
○中国工程院院士(1名):张学军

8. 特記事項~王大珩と両弾一星

(1)初代所長・王大珩

 長春光学精密機械・物理研究所の前身の一つである光学精密機研究所(設立時は機器館)の初代所長は、王大珩(おうだいこう)である。

 王大珩は1915年に、日本の東京で生まれた。父の王應偉(おうけいい)は気象学者であり、日本の東京物理学校(現在の東京理科大学)を卒業した後、日本の中央気象台(現在の気象庁)で働いていたときに生まれたのである。

 王大珩は、1936年に清華大学物理学科を卒業し、1938年にインペリアル・カレッジ・ロンドンに留学して応用光学を専攻した。その後、シェフィールド大学に転校した後、1948年に帰国した。

 新中国建国後に中国科学院が設置されると、当時大連理工大学教授(当時)であった王大珩に対して、科学院の幹部から光学技術を研究するための研究機関設立準備を任された。1952年に吉林省長春に中国科学院・機器館が設立され、王大珩はその初代所長となった。

863計画を提言した王大珩
王大珩  百度HPより引用

(2)両弾一星と光学技術

 朝鮮戦争が膠着状態となり、米国の核兵器使用の圧力や第二次世界大戦の戦勝国としての立場を確保することなどを念頭に、毛沢東ら中国指導部は1956年頃に核兵器とミサイル開発を行う両弾一星」を決断した。この両弾一星は、全中国の科学技術関係者が参加する大きなプロジェクトであり、その指揮を執ったのは軍人の聶栄臻(じょうえいしん)で、その下で宇宙関係は銭学森、核兵器関係は銭三強が技術責任者であった。

 1960年代に入り両弾一星政策が本格化すると、核兵器開発や宇宙開発に係わる光学測定装置の開発が重要となり、英国で光学技術を研究した経験を有する王大珩が所長を務めていた中国科学院光学精密機研究所が、その任に当たることとなった。

 王大珩らは、核爆発観測用の高速カメラの開発に成功し、1964年の中国発の核実験に参加した。また、宇宙からの地上偵察カメラの開発も行った。

 1999年、新中国建国50周年を記念して、中国共産党中央、国務院、中央軍事委員会は、両弾一星政策に貢献した科学技術専門家23名に「両弾一星功労勲賞 (两弹一星功勋奖章) 」を授与した。王大珩も、23名の一人としてこの勲章を受章している。

参考資料

・長春光学精密機械・物理研究所HP http://www.ciomp.cas.cn/gkjj/jgjj/
・中国科学院統計年鑑2022 中国科学院発展企画局編
・中国科学院年鑑2022 中国科学院科学伝播局編