はじめに
中国科学院・自動化研究所 (Institute of Automation, CAS) は、北京市にある研究機関である。
設立当初は、遠隔操作技術などを研究していたが、現在は知能科学などの研究開発を行っている。
中国科学院の附属研究機関の中では、規模、研究開発力、研究成果などでバランス良く上位にある機関である。
1. 名称
○中国語表記:中国科学院・自动化研究所 略称 自动化所
○日本語表記:中国科学院・自動化研究所
○英語表記:Institute of Automation, CAS 略称 CASIA
2. 所在地
中国科学院・自動化研究所の本部は、北京市海淀区中関村東路95号である。近くには、中国科学院の別の付属機関である物理研究所や、中国の主要な大学である北京大学や清華大学が位置する。
3. 沿革
(1)「両弾一星」貢献を念頭に設立
自動化研究所の設立には、当時の中国最大の軍事プロジェクトである「両弾一星政策」が大きく関与している。
両弾一星プロジェクトの中で、ミサイルやロケットの遠隔操作技術開発が重要となり、1956年に中国科学院内に新たな研究機関である「自動化遠隔制御研究所(自动化及远距离操纵研究所)(仮称)」の設置準備が進められた。
4年間にわたる準備期間を経て、1960年に「自動化研究所」が北京に設立された。
この経緯に関しては、下記特記事項で詳述する。
(2)文革で組織改編
文化大革命が開始されると、自動化研究所は大きな影響を受けることになった。1966年5月頃から紅衛兵の活動が活発化し、また中国科学院内での権力闘争により造反派が実権を握った。
1968年には、自動化研究所は中国科学院を離れ、人民解放軍の第五研究院に属することになり、名称が「宇宙制御技術研究所(空间控制技术研究所)」となった。これは、造反派が両弾一星のプロジェクトに介入しないように、周恩来が毛沢東の承認を得て軍の庇護の下に置いたものである。
1970年になると、中国科学院革命委員会により組織改編が進められ、傘下の研究機関を地方移転させたり、地方政府と中国科学院の二重指導体制下においたり、産業部門に移管させたりした。この方針に従い、宇宙制御技術研究所は1972年に軍の庇護を離れ、中国科学院と北京市の共同所管となった。
(3)中国科学院の附属研究機関に復帰
文化大革命は1976年末に終了し、中国科学院は中央及び各地方、各部門の支援の下、文革中に地方政府などに切り離された研究機関の復帰及び新設を大規模に行っていった。これにより、1978年に自動化研究所は中国科学院の附属研究機関に復帰した。
1990年代には、それまでの研究領域である自動化や制御工学を基礎として、新しい研究分野である人工知能研究を開拓していった。
現在はそれらに加え、機械学習、コンピュータ視覚、音声言語情報処理、知能ロボット、知能システムなどの研究分野で様々な研究開発を実施している。
4. 組織の概要
(1)研究分野
自動化研究所の設立当初は、制御技術や自動化技術を中心に研究が行われたが、現在は、人工知能、複雑系、イメージング、脳科学、情報工学などに研究分野を拡大している。
(2)研究組織
自動化研究所の研究組織は、以下の通りである。
①国家級の研究室・実験室
・パターン認識国家重点実験室(後述)
・複雑系管理・制御国家重点実験室(後述)
・国家専用集積回路設計光学技術研究センター
②中国科学院級研究室・実験室
・中国科学院分子イメージング重点実験室
・中国科学院工業ビジョン知能機器技術工学実験室
③研究所級研究室・実験室
・知能知覚・計算研究センター
・脳マッピング・類脳知能実験室
・紫東台中大型モデル研究センター
・知能システム・工学研究センター
・人工知能倫理・ガバナンス研究センター
・統合情報システム研究センター
・デジタルコンテンツ技術・サービス研究センター
(3)研究所の幹部
自動化研究所の幹部は、所長、中国共産党委員会(党委)書記、副所長、副書記である。大学などでは、党委書記の方が学長より強い権限を有しているが、中国科学院の附属研究機関では所長が最高責任者の場合が多い。
①徐波・所長
徐波・自動化研究所所長は、1988年に浙江大学で学士の学位を、1992年に自動化研究所で修士の学位を、1997年にやはり自動化研究所で博士の学位をそれぞれ取得し、それ以降一貫して自動化研究所で研究活動を行っている。2015年から所長を務めている。専門は、多言語音声認識と機械翻訳などである。
②袁東・党委書記兼副所長
袁東・党委書記は、副所長も兼務しており、自動化研究所のナンバーツゥーである。2023年に就任した。残念ながら、現在閲覧できるHP上には同氏の情報はない。
5. 研究所の規模
(1)職員数
自動化研究所の2021年現在の職員総数は1,104名で、中国科学院の中では第13位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。1,104名の内訳は、研究職員が1,064名(96%)、技術職員(中国語で工員)が7名(1%)、事務職員が33名(3%)である。
(2)予算
自動化研究所の2021年予算額は11億8,972万元で、中国科学院の中では第18位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。11億8,972万元の内訳は、政府の交付金が4億0,911万元(34%)、NSFCや研究プロジェクト資金が7億6,618万元(64%)、その他が1,443万元(2%)となっている。
(3)研究生
2021年現在の在所研究生総数は849名で、中国科学院の中では第14位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。849名の内訳は、修士課程の学生が382名、博士課程の学生が467名である。
6. 研究開発力
(1)国家級実験室など
中国政府は、国内にある大学や研究所を世界レベルの研究室とする施策を講じている。この施策の中で最も重要と考えられる国家研究センターと国家重点実験室であり、中国科学院の多くの研究所に設置されている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
上記組織の項でも述べたが、自動化研究所は以下の2つの国家重点実験室を有している。
・パターン認識国家重点実験室(模式识别国家重点实验室):1984年に国の認可を受け、1987年から研究を開始した。主な研究分野は、モード識別、コンピュータ視覚、画像処理・図形学、言語情報処理、自然言語処理及びモード識別応用とシステムなどである。2021年現在で、正規研究員が133名、客員研究員が60名、研究生としてポスドク34名、博士学生277名、修士学生298名である。
・複雑系管理・制御国家重点実験室(复杂系统管理与控制国家重点实验室):元々は中国科学院級の実験室として1994年から研究活動を行っていたが、2011年に家重点実験室として改めて国の認可を受け、2013年から研究を開始した。平行管理と知能制御、ロボット技術に基づく先進制御、知能医学、ネットワーク化仮想世界などを研究する。2021年現在で、正規研究員が89名、客員研究員が38名、研究生としてポスドク12名、博士学生158名、修士学生111名である。
(2)大型研究開発施設
中国科学院は、同院や他の研究機関の研究者の利用に供するため大型の研究開発施設を有している。大型共用施設は、専用研究施設、共用実験施設、公益科学技術施設の3つのカテゴリーがある(中国科学院内の設置状況詳細はこちら参照)。
自動化研究所には、この様な大型共用施設はない。
(3)NSFC面上項目獲得額
国家自然科学基金委員会(NSFC)の一般プログラム(面上項目、general program)は、日本の科研費に近く主として基礎研究分野に配分されており、中国の研究者にとって大変有用である。自動化研究所のNSFCの獲得資金額は、2021年1,359万元(件数は23件)であり、中国科学院の中では第18位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
7. 研究成果
(1)Nature Index
科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。Nature Index2022に基づく、中国科学院内の附属研究機関のランキングはこちらであるが、自動化研究所はランク外となっている。
(2)SCI論文
上記のNature Indexはトップレベルの論文での比較であり、より多くの論文での比較も重要である。しかし、中国科学院は各研究所ごとの論文数比較を出来るだけ避け、中国科学院全体での比較を推奨している。このため、SCI論文などで研究所ごとの比較一覧はない。
ただ、研究所によっては自らがどの程度SCI論文を作成しているか発表している。
自動化研究所もその一つであり、中国科学院年鑑2022によれば、2021 年においてSCI論文841件及びEI論文1,032件を発表した。
なお、これらの数字を中国の主要大学のそれと比較すると、清華大学、北京大学、上海交通大学などが年間でSCI論文を約10,000件前後発表している(大学間での比較の詳細はこちら参照)。したがって中国の主要大学と比較すると、それほど大きなものではない。
(3)特許出願数
2021年の自動化研究所の特許出願数は542件で、中国科学院内で第8位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
(4)成果の移転収入
2021年の大連化学物理研究所の研究成果の移転収入は194.05億元であり、中国科学院内で第6位である(他の研究所との比較の詳細はこちら参照)。
(5)両院院士数
中国の研究者にとって、中国科学院の院士あるいは中国工程院の院士となることは生涯をかけての夢となっている。2024年2月時点で自動化研究所に所属する両院の院士は3名であり、19位までに入っていない(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
○中国科学院院士(3名):戴汝为、谭铁牛、乔红
8. 特記事項~両弾一星プロジェクトと銭偉長
自動化研究所の設立はすでに述べたように1960年であるが、この自動化研究所は当時の中国最大の軍事プロジェクトである「両弾一星」と、物理学者である銭偉長が、大きく関与している。
(1)両弾一星と遠隔操作研究
朝鮮戦争が膠着状態となり、米国の核兵器使用の圧力や第二次世界大戦の戦勝国としての立場を確保することなどを念頭に、毛沢東ら中国指導部は1956年頃に核兵器とミサイル開発を行う「両弾一星」を決断した。この両弾一星は、全中国の科学技術関係者が参加する大きなプロジェクトであり、その指揮を執ったのは軍人の聶栄臻(じょうえいしん)で、その下で宇宙関係は銭学森、核兵器関係は銭三強が技術責任者であった。
ロケットやミサイルの開発を任された銭学森は、米国カリフォルニア工科大学(Caltec)にいた研究者であり、赤狩りに巻き込まれて軟禁状態にあったところを、朝鮮戦争での捕虜交換を条件に1955年に帰国を許された。
帰国後の1956年に銭学森は、国防部に設置された第五研究院の初代院長となり、また同年に中国科学院に設置された力学研究所の初代所長を兼務し、ロケットやミサイル開発に係わる基礎的・理論的な研究や人材育成に力を注いだ。
その中で銭学森は、ロケットやミサイルの遠隔操作技術の研究も重要と考え、遠隔制御の研究機関を中国科学院に設置することを考えた。
当初は「自動化遠隔制御研究所(自动化及远距离操纵研究所)」という名称の研究機関を考えていたが、最終的に1960年に設置された際には自動化研究所となった。
自動化研究所は、中国の遠隔制御科学の先駆者となり、両弾一星において歴史的貢献を果たしている。
(2)研究機関設立の立役者~銭偉長
新しい研究機関設立の準備作業の責任者に選ばれたのは、当時力学研究所の副所長として銭学森を補佐していた銭偉長である。
銭偉長は、カナダのトロント大学に留学し、弾性力学を専攻して1942年に同大学より博士号を取得した。その後、銭学森もいた米国カリフォルニア工科大学ジェット推進研究所(JPL)のフォン・カルマン教授の下で研究に従事した。研究の主なトピックは、ロケットの発射、ロケットの軌道制御などであった。
銭偉長は、第2次大戦終了後の1946年に帰国し、母校の清華大学工学部機械工学科の教授となり、北京大学などでも応用力学や材料力学を教えた。銭学森が帰国し中国科学院力学研究所の所長に就任すると、銭偉長は副所長に就任した。そして、ロケットやミサイルの遠隔操作技術に係わる研究所の創設準備を銭学森から任されたのである。
しかし、銭偉長はその後始まった反右派闘争で迫害を受けることになった。銭偉長は、清華大学の教授職は名目上残されたが、それ以外の全ての役職は取り消され、実質的には実験助手的な立場となって床掃除まで命じられた。
なお、銭偉長は、反右派闘争での迫害の後、文化大革命でも再び批判の対象となり、名誉が回復されたのは文革後の1979年である。現在では、銭偉長の功績が認められ、銭学森、銭三強と並んで中国科学界の「三銭」と呼ばれている。
参考資料
・中国科学院自動化研究所HP http://www.ia.cas.cn/
・中国科学院統計年鑑2022 中国科学院発展企画局編
・中国科学院年鑑2022 中国科学院科学伝播局編