はじめに

 馮小明(冯小明、1963年~)四川大学教授は、不斉合成の研究で高い効率を持つ新しい触媒を発見し、2018年に未来科学大賞物質科学賞を受賞した。

馮小明の写真
馮小明 百度HPより引用

生い立ちと教育

 馮小明(冯小明、Xiaoming Feng)は、1963年に大陸西部の四川省広安市武勝に生まれた。

 馮小明が3歳となった1966年に文化大革命が始まり、13歳の1976年末に同革命は終了する。現在公開されている中国語のHPを検索したが、この時代の馮小明の逸話は見つからなかった。文化大革命の影響は中国全土に及んでおり、馮小明も例えば小学校はほとんど授業がなかったり、下放などの強制労働に従事した可能性がある。

郭沫若の「科学の春」やゴールドバッハ予想の陳景潤に感動

 文革終了後の1977年7月に3回目の復活を遂げた鄧小平は、文革により混乱を極めた高等教育や科学技術研究を回復させるため、翌1978年3月に全国科学大会開催を指示した。この全国科学大会には、中国全土から約7,300名の科学技術関係者が参加し、鄧小平は四つの近代化の推進を強く科学者に訴えた。4つの近代化(4つの現代化ともいう)とは、農業、工業、国防とそれを支える科学技術の近代化である。

全国科学大会の開催
馮小明が感動した全国科学大会 百度HPより引用

 この全国科学大会に病気を押して参加した郭沫若・中国科学院院長は「科学の春(科学的春天)」という講話を提出し、代読させた。当時中学生であった馮小明は、この鄧小平と郭沫若の話に感動した。

 さらに馮小明は1978年1月に、雑誌「人民中国」に掲載された記事「ゴールドバッハ予想」を読み、ゴールドバッハ予想を解決した陳景潤に感動し、憧れた。陳景潤は、1933年に福建省福州に生まれ、1973年にゴールドバッハ予想の一つである「十分大きな全ての偶数は、素数と高々二つの素数の積であるような数との和で表される」ことを世界で初めて証明した数学者である。

陳景潤
ゴールドバッハ予想を解決した陳景潤 百度HPより引用

 この二つのことから、馮小明は、将来科学者となって中国に貢献したいと思うようになった。

蘭州大学に入学

 当時の中国における大学への進学率は3%未満であったが、馮小明は猛勉強の末1981年に、大陸北西部にある甘粛省蘭州の蘭州大学に合格した。 
 馮小明は、大学への合格決定まで親元の四川省にいたが、入学するためには蘭州市に行かなければならない。ところが、この時期甘粛省は大きな洪水に遭遇し、蘭州までの鉄道は寸断されていた。四川省から3度も電車を乗り継いで漸く西安に到着し、西安から蘭州へはバスと徒歩という厳しい旅であった。結局、故郷の四川省を出てから蘭州にたどり着くまで丸一週間かかったという。

 蘭州大学では化学を専攻し、1985年に同大学を卒業し学士を取得した。科学で中国に貢献することを決心していた馮小明は、より高い知識を求めて大学院に進学し、1988年に同大学から修士の学位を取得した。

博士号の取得とポスドクでの留学

 修士を取得した馮小明は、重慶市の西南師範大学(現在の西南大学)に教員として採用された。大学側は教育を担当させるつもりで採用したが、馮小明は研究にも精力を注ぎ、専門誌への論文発表を続けた。その甲斐あって、1991年には副教授に抜擢された。27歳という中国国内でも極めて若い副教授であった。

 しかし馮小明は、論文発表などを通じて自らがそれほど学問的に高い位置にないことを実感したため、2年後の1993年に北京にある中国科学院化学研究所の研究生となって、有機化学による博士の学位取得を目指した。

 馮小明は、1996年に中国科学院化学研究所から博士の学位を無事取得し、故郷四川省に戻って中国科学院成都有機化学研究所(現在の中国科学院成都有機化学有限公司)に入った。しかしここでも馮小明は、国内の研究レベルが世界水準と比較して低いと考え、2年後の1998年に米国に渡り、コロラド州立大学でポスドク研究を行った。

四川大学の教授に

 馮小明は1999年に、約1年間のポスドク研究を終えて中国に帰国し、成都有機化学研究所の勤務に戻った。2000年には同研究所を退職し、同じ成都市内にある四川大学の化学科の教授に就任した。
 四川大学は、清朝末期の1896年に設立された「四川中西学堂」を起源とする伝統校であり、現在も理学や医学に優れた業績を挙げていて、211工程985工程双一流の選定校として、中国を代表する主要大学の一つである。

不斉合成の研究で成果

 馮小明は、漸く自らの研究室を四川大学に構え、有機化学、特に不斉合成の研究を進めていった。
 この時期に、不斉合成の研究が世界的に脚光を浴びることになる。日本の野依良治らの3博士が、不斉触媒反応の研究で2001年のノーベル化学賞を受賞した。馮小明も意を強くして不斉合成の研究を続けた。馮小明は、不斉合成反応の研究をベースとし、その反応のためのキラル触媒の設計・合成、さらには医学応用であるキラル薬物合成などを研究していった。

 馮小明らは2011年に、高い効率を持つ全く新しい触媒であるキラル・ジニトロキシド化合物を発見し、これを馮小明の姓を冠してフェン(Feng=馮)のキラル触媒と名付けた。このフェンのキラル触媒は、20種類以上の金属と配位して錯体触媒を形成することができ、20種類以上の新規反応を含む60種類以上の反応を高い効率と選択性で触媒することが出来る。その一つの反応には、「ロスカンプ・フェン(Roskamp-Feng)」反応がある。フェンのキラル触媒は、最も経済的で環境に優しく、広く適用可能な不斉キラル触媒と言われている。

 馮小明は、この成果により2013年に中国科学院の院士に当選し、2018年には未来科学大賞の物質科学賞を受賞した。
 未来科学大賞は、香港を拠点とする未来科学賞財団が中国における優れた業績を表彰することを目的として2016年に創設した賞であり、生命科学、物質科学、数学・計算機科学の3分野である。

馮小明の未来科学大賞物質科学賞受賞

ドライブ、武侠小説、ランニングが趣味

 馮小明は、現在も四川大学において研究を続けている。

 馮小明には、ドライブ、武侠小説、ランニングという3つの趣味がある。
 ドライブは、研究で気が滅入ったときなどの気分転換に有効である。また、ランニングは初めは息が切れるので辛いが、走り続けると落ち着いてきて楽になる。研究を続行する上で重要と考えている。

 武侠小説とは中国の大衆文学で、武術に長け義理を重んじる人々を主人公とした小説の総称である。「侠」は日本語の「任侠」と同義で仁義を重んじ弱きを助け強きを挫く人たちを指し、「武」は「侠」なる人がその精神を達成するための手段として用いる武術を指す。武侠小説は、冒険小説であり、スピーディな展開と武術によるアクション描写を主とする娯楽小説である。
 武侠は、まず武術のルーチンとルールを学ぶことから始め、その上で十分なレベルに達すると、今度はルーチンやルールにとらわれないようにする。この段階で、草木、竹、石など様々なものが武器となり、無敵な状態になる。馮小明は、この点が科学研究と似ており、科学研究では最初これまで先人が積み上げてきた知識や手法を十分に学ぶ必要があるが、それを突き破らなければ新しい発見がないということが重要であると考え、武侠小説を愛読しているという。 

参考資料

・澎湃新闻HP 科技人物|冯小明|以原始性创新提升国家科技竞争力 https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_23355770
・四川科技報HP 冯小明:让创新成为一种素质 为人类发展领跑 https://rmh.pdnews.cn/Pc/ArtInfoApi/article?id=32700620
・南開大学・元素有機化学国家重点実験室HP 冯小明 教授 中国科学院院士 https://skleoc.nankai.edu.cn/info/1590/3943.htm
・【人物】冯小明院士:化学是一门变化的学科,化学家要探索与创造
https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MzAwODA5MjQ3Ng==&mid=2653172822&idx=7&sn=cd710afe061b988f4a24a97c6fa28f40&chksm=80a4ba05b7d33313899041521f4016c860adbe1376795f5dc63f8891512b150530ac03447da8&scene=27