はじめに

 銭偉長は、弾性力学、爆発力学などで理論面での貢献をし、科学技術の発展に多大な足跡を残した。銭学森銭三強と並んで中国科学界の「三銭」と呼ばれている。

銭偉長の写真
銭偉長 百度HPより引用

生い立ちと教育

 銭偉長(钱伟长)は、1912年に江蘇省無錫市で教師の家庭に生まれた。父銭挚せんしの弟である銭穆せんぼくは中国近代史の大家であり、戦前は北京大学や清華大学で、国共内戦後は香港や台湾で教鞭を執っている。

 銭偉長は、地元無錫で基礎教育を受けた後、1931年に清華大学に入学した。当初は歴史学部に入学したが、同年に柳条湖事件が発生して日本軍の満州侵略が始まったことに憤り、「今後は歴史を学ばず、物理学を学んで大砲や飛行機を製造することにより中国の軍事力を強化したい」として、物理学科に転入した。1935年に清華大学を卒業し、大学院で呉有訓に師事してスペクトル分析などを行った。
 銭偉長は学生時代にはスポーツマンであり、サッカーのフォワードを務めていた。1937年には、中国代表サッカーチームのメンバーに選ばれ、フィリピンで開催された極東選手権大会に参加している。

 1937年に日中戦争が始まり、清華大学は北京大学などとともに大陸西部の雲南省に疎開して国立西南連合大学を結成するが、銭偉長もこれに同行して同校で熱力学を教えた。

カナダへの留学と米国での研究生活

 1939年に公費留学生試験に合格し英国に留学を希望したが、第2次世界大戦の影響で、留学先をカナダのトロント大学とし、同大学で弾性力学を専攻した。1942年に同大学より応用数学で博士号を取得した。

 銭偉長は1942年に米国に移動し、カリフォルニア工科大学(Caltec)ジェット推進研究所(JPL)のフォン・カルマン教授の下で研究に従事した。研究の主なトピックは、ロケットの発射、ロケットの軌道制御などであった。カルマン教授の下には銭学森もいた。

帰国して清華大学教授に

 銭偉長は、第2次大戦終了後の1946年に帰国し、母校の清華大学工学部機械工学科の教授となり、北京大学などでも応用力学や材料力学を教えた。1952年に中国科学院に数学研究所が創設され、銭偉長は同研究所に置かれた力学研究室の主任となった。数学研究所の初代所長は華羅庚であった。同年に中国で院系調整と呼ばれた大学改革が実施され、清華大学は工学中心の大学として再編されたが、銭偉長は院系調整後の清華大学で教務長に就任した。1955年には、中国科学院学部委員(現院士)に当選している。

 カリフォルニア工科大学で同僚であった銭学森が1955年に帰国すると、銭偉長は銭学森と語らい、翌1956年に中国科学院力学研究所を創設し、銭学森は所長に、銭偉長は副所長に就任した。

反右派闘争と文化大革命での迫害

 研究者として脂ののっていた時期に、銭偉長は厳しい状況に置かれることになった。反右派闘争に巻き込まれたのである。銭偉長は、清華大学の教授職は名目上残されたが、それ以外の全ての役職は取り消され、実質的には実験助手的な立場となって床掃除まで命じられた。上司で友人の銭学森も、銭偉長を批判することを余儀なくされた。幸いにも研究の実施は黙認され、銭偉長はその間も研究論文執筆などは可能であった。

 反右派闘争は1960年代初頭には終息していったが、1966年頃から文化大革命が開始され、銭偉長は再び批判の対象となった。1968年には、下放により北京の製鉄工場で強制労働を課せられた。銭偉長は、強制労働中であるにもかかわらず、工場の性能向上に取り組み、高性能の油圧プレス機を設計している。

名誉回復と晩年

 1972年のニクソン米国大統領訪中を機に、中国は欧米や日本との交流再開に大きく舵を切った。周恩来は、科学者による英国、スウェーデン、カナダ、米国への訪問団を結成し、その一員に銭偉長を指名した。これを機に、銭偉長への批判は収まっていった。1975年には、第4回全国人民代表大会の代表に選出された。

自由の身となった銭偉長は研究に没頭し、有限要素法、情報処理、弾性力学、破壊力学などの研究で、活発に論文を発表している。

 文化大革命後の1979年に、中国政府は銭偉長が右派であるとの分類の取り消しを決定し、銭偉長の名誉は完全に回復された。1980年には中国科学院の学部委員に復活し、1983年には上海工業大学の学長となった。この上海工業大学は1993年に、旧上海大学、上海科学技術大学などと統合されて新しい上海大学となり、銭偉長が初代学長となった。

 銭偉長は、両弾一星政策に直接関与しなかったが、弾性力学、爆発力学などで理論面での貢献をしている。銭偉長は、中国の科学技術の発展に多大な足跡を残したとして、銭学森、銭三強と並んで中国科学界の「三銭」と呼ばれている。

 銭偉長は2010年に、上海で死去した。享年98歳であった。

参考資料

・中国青少年科技辅导员协会HP 我国近代力学之父——钱伟长 https://m.thepaper.cn/baijiahao_4056095
・应届毕业生网HP https://www.yjbys.com/shijicailiao/3231388.html