概要
香港大学 (University of Hong Kong) は、中国の特別行政区となった香港にある有名大学である。
香港大学は英国植民地時代に設置され、英国流の大学運営が行われてきた。このため、教育や研究において英国の影響を色濃く受けており、特に基礎研究や医学で多くの成果を挙げている。
一国二制度が有名無実化しつつある現在、これまでの英国流の伝統がどの程度維持・発展されるか注目される。
1. 名称と所管
(1)名称
・日本語表記 香港大学
・中国語表記 香港大學(繁体字) 香港大学(簡体字) 略称 港大
・英語表記 University of Hong Kong 略称 HKU
(2)所管
香港特别行政区政府内の教育局所管の公立大学である。
香港の政府には、行政長官をヘッドとして、日本の各省大臣にあたる3司長13局長がいるが、大学を所管するのはそのうちの教育局長である。
2. 本部の所在地
香港はアヘン戦争などで植民地化されていたが、1980年代にサッチャー英国首相と鄧小平・中国最高指導者の間で交渉が行われ、「一国二制度」の下で返還することが1984年の英中共同声明で決まり、1997年に返還された。現在香港は、中華人民共和国の特別行政区となっている。
香港大学の本部は、香港特別行政区南区で、香港島西部の薄扶林にある。薄扶林は、ヴィクトリア・ピークの斜面から西側の海に向かって開けた住宅地区で、香港有数の住宅地、文教地区である。
3. 沿革
(1)医学校の設置
香港大学の前身は、1887年に設置された香港西医書院である。同書院は、西洋医学の高等教育を実施する機関であり、この書院の著名な卒業生の一人が孫文である(下記8.の特記事項参照)。
(2)香港大学の設立
1910 年、当時の香港総督フレデリック・ルガード卿は、香港西医書院などを統合して英国流の大学の設立を構想した。1911年に大学条例を発布し、1912年に香港大学を発足させた。発足当時の学部は、芸術、工学、医学であり、香港西医書院は香港大学医学部となった。
設立後、香港大学は徐々に発展し、10年後には女子学生を受け入れ、1937年には医学部の臨床病院としてクィーン・メアリー病院を開設した。その時点での学部は、文学、工学、医学、理学の4つであった。
1941年に太平洋戦争が始まると、香港は日本軍に占領され、香港大学も破壊され閉鎖された。ただ、医学部は戦火を逃れて四川省の成都に移転し、そこで教育研究を続行した。
(3)戦後の発展
1945年に第二次世界大戦が終了し、敗戦となった日本軍は香港を撤退した。香港は英国の植民地に復帰し、香港大学も再建され、教育研究業務が再開された。
英国の大学として、香港大学は戦後の高等教育の需要に応えていく。1951年には建築学科が設置され、1956年には社会人教育を担当する継続教育学部が設置された。
各学部の学生数の拡大も積極的に行われ、香港大学が創立 50周年を祝った 1961年には、学生数は 2,000名を超え、日本軍占領により業務が中断となった1941年に比較して約4倍に増加した。
その後も総合大学化への動きが加速し、社会科学部が1967年に、法学部が1969年に設置された。さらに1982年に、プリンス・フィリップ歯科病院を中心に歯学部が設立された。1984年に建築学部と教育学部の両方が本格的な学部となった。
1984年の英中共同声明に従って、香港は1997年に中国に返還され、同国の特別行政区となったが、香港大学はそれほど大きな変化を受けなかった。
その後も香港大学の発展は続き、例えば2003年に重症急性呼吸器症候群 (SARS) が発生した際、香港大学の研究者は世界で初めてSARS の原因となるコロナウイルスを特定するなど、科学技術で成果を挙げていった。
2005 年に、医学部は李嘉誠医学部に改名された。李嘉誠(Sir Ka-shing Li、1928年~)は、香港最大の企業集団・長江実業グループ創設者兼会長で、かつてはアジア全域で最も富裕な人物であり、華人としては世界一の資産家であった。
現在香港大学は10学部を擁し、地元の優秀な学生に加え多くの中国本土の学生が入学しており、世界的にも優れた大学となっている。
4. 現在の指導部
香港大学の指導部は、これまでの同大学の歴史的経緯から、他の本土の大学と違った形態になっている。
(1)総長(Chancellor)
香港大学の最高位にある職は、総長(Chancellor)である。この職は旧宗主国・英国の大学の職に準拠しており、大学人ではなく名誉職的なもので、セレモニーなどへの参加・貢献が中心である。香港が中国に返還される前は英国から派遣された総督が兼務していたが、返還後は香港の行政の最高責任者である香港特別行政区行政長官が兼務している。
現在の行政長官の李家超(John Lee Ka Chiu)は、1957年に香港に生まれ、大学卒業後は長らく警察畑を歩き、2002年に保安局に移動し局長まで昇進した。2022年に香港特別行政区行政長官に出馬を宣言し、唯一の立候補者となり、1,460人中1,416人の票を集めて当選している。
(2)副総長(Pro-Chancellor)
香港大学には、総長の代理として総長代理(Pro-Chancellor)と呼ばれる職が置かれている。これも名誉職的なものである。
現在の総長代理(Pro-Chancellor)は、著名な銀行家の李國寶・爵士(Sir David Li Kwok Po)である。李國寶は、1939年に英国ロンドンに生まれ、インペリアル・カレッジ・ロンドンで数学を学び、ケンブリッジ大学セルウィン・カレッジで経済学と法律を学んだ。1969年に香港に戻って東亜銀行に入行し、銀行の情報化や事業展開を推進した。1995年に副総裁、1997年には東亜銀行の会長兼最高経営責任者に任命された。
(3)学長(President & Vice-Chancellor)
香港大学の運営について、実質的な責任を有する職は学長(President)である。英国の伝統から副総長(Vice-Chancellor)を兼務している。
現在の学長は張翔(Xiang Zhang、张翔)教授である。張翔は、1963年に江蘇省南京に生まれ、1985年に南京大学で学士号を、1988年に南京大学で修士号を、1996年に米国カリフォルニア大学バークレー校機械工学科で博士号を取得した。
1996年にペンシルベニア州立大学の助教授に採用され、1999年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の機械工学科の准教授に転任し、2005年に正教授となった。2014年から 2016年まで、ローレンス・バークレー国立研究所の材料科学部門長を務めた。2018年7月に香港大学の第16代学長に就任し、2023年7月再任された。専門はナノ材料であり、米国籍を有している。
5. 規模
(1)規模のデータ表
香港大学 | 中国本土第1位の大学 | ||
学部学生数 | 18,028名(71位相当) | 鄭州大学 47,000名 | 詳細データ |
大学院生数 | 18,359名(29位相当) | 清華大学 38,783名 | 詳細データ |
留学生数 | 3,120名(6位相当) 16,505名(本土学生を含めた数字) | 北京大学 6,857名 | 詳細データ |
専任教師数 | 4,296名(6位相当) | 吉林大学 6,506名 | 詳細データ |
総予算 | 約116億元(16位相当) | 清華大学 362.11億元 | 詳細データ |
中国では、香港の大学は別扱いになっていることが多く、上記の学生数などのデータも香港の大学はランキングに含まれていない。そこで、香港大学HPの数字を上記表に記述し、詳細データにある中国全体のランキングで相当する順位を掲載した。
香港大学では、大学院生の受け入れが修士号や博士号取得のコースと、研究専念のコースがあり、上記表の数字は、双方を足し合わせたものである。
香港大学では、本土の学生も留学生的に扱っており、その学生数を除外した数字と、本土の学生を入れた数字を併せて掲載した。
香港大学の総予算は、116億香港ドルであり、香港ドルと人民元を1:1とした。
(2)キャンパス
香港大学のキャンパスは、一部の付属研究所を除き、本部のある薄扶林のみである。
(3)学部
中国本土の大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)で学部の有無を判断するが、香港大学の場合はかつての英国大学の伝統に基づいて学院(Faculty、日本の学部に相当)を設置している。現在、建築学院、文学院、経済・工商管理学院、歯学院、教育学院、工学院、李嘉誠医学院、理学院、社会科学院の10学院である。
6. 研究開発力
(1)研究開発力のデータ表
香港大学の研究開発力を、データとして示したのが下表である。
なお、SCI論文数とはラリベートアナリティックス社のデータによる論文数、Nature Indexとは世界トップクラスの科学誌・学会誌掲載の論文数による指標、NSFCの面上項目予算の獲得額である。国家重点実験室は下記(2)を参照。
香港大学 | 中国本土第1位 | ||
SCI論文数 | - | 中国科学院大学 | 詳細データ |
Nature Index | 29位 | 中国科学院大学 | 詳細データ |
国家重点実験室数 | 5か所(6位相当) | 清華大学 | 詳細データ |
NSFC面上項目予算 | - | ー | 詳細データ |
(2)国家重点実験室
香港大学には、以下の5か所の国家重点実験室がある。このうち医学関係が4つあり、香港大学は伝統的に医学関係が強いことが分かる。
・脳・認知科学
・新型伝染病
・肝臓病研究
・生物医学技術
・合成化学
(3)優れた卒業生や研究者
英国式の高等教育を施している香港大学は、伝統的に医学や基礎科学で多くの有為な人材を育成し、また優れた研究者を擁している。
ここでは、本HPで取り上げた研究者を列記する。
・ダニエル・ツイ(崔琦):河南省出身。香港大学医学部卒。分数量子ホール効果の研究により、1998年にノーベル物理学賞を受賞。
・簡悦威(Yuet Wai Kan):香港大学医学部卒。カリフォルニア大学サンフランシスコ校名誉教授。DNA多型マーカーを用いた先天性ヘモグロビン異常症の研究。
・蘇萌(Meng Su):北京大学卒。香港大学副教授。「フェルミ・バブル」を発見し、高エネルギー天文学のブルーノ・ロッシ賞を受賞。宇宙ベンチャー「オリジン・スペース」社の責任者。
7. 国際的な評価
香港大学の国際的な評価を示したのが下表である。具体的には、英国のQS(Quacquarelli Symonds Limited)とTHE(Times Higher Education)のランキングを示した。
これで見ると香港大学は、世界で30位以内であり、中国本土の大学と比較すると北京大学と清華大学に次ぐ評価となっている。ただし、この二つのランキングはいずれも旧宗主国・英国の組織によるものでありそれを割り引いて考える必要がある。
8.特記事項
(1)孫文
孫文(孫中山)は、珠江デルタの中南部に位置する広東省香山県(現在の中山市)に生まれ、青年時代に医学を学んだ。はじめに、広東省の広州市にある「博済医学堂」で学び、その後、香港大学の前身となる「香港西医書院」に転校し、卒業後医師となってマカオで開業している。
1911年の辛亥革命の後、孫文は1923年に香港大学を訪れ演説を行った。その時の演説に次の一節があり、現在の香港大学にはこの一部を記した記念碑と孫文の像がある。
中国語:我有如遊子歸家,因為香港與香港大學乃我知識之誕生地。
英語:I feel as though I have returned home, because Hong Kong and The University of Hong Kong are my intellectual birthplace.
日本語:今私は故郷に帰ったように感じます。それは、香港と香港大学が私の知的な誕生地であるからです。
孫文は、「革命いまだ成らず」との言葉を残して1925年に没するが、彼の功績と人柄さらには革命に対する情熱に、現在の中国国民も深い敬意を抱いている。
(2)香港中文大学と香港科技大学
香港には、香港大学以外に他の二つの主要大学がある。
①香港中文大学
一つ目は香港中文大学(The Chinese University of Hong Kong)であり、新界に位置する沙田区に本部がある公立大学である。第二次世界大戦後の1963年に、大学として設置された。
香港大学が英語を主体として授業を行うのに対し、中文大学は、中国語と英語で授業を行うことに特長があった。中文は、中国語の意味のみならず、中華文化全体を意味している。
学生数は約2万人であり、文学院、工商管理学院、教育学院、工学院、法学院、医学院、理学院、社会科学院の8学院(学部に相当)を有している。
本HPで取り上げた著名な卒業生や研究者に次の人達がいる。
・シン=トゥン・ヤウ(丘成桐):香港中文大学卒業。ハーバード大学教授。1982年に中国系として初めてフィールズ賞を受賞。
・チャールズ・カオ(高錕):元学長。2009年に光ファイバーの研究でノーベル物理学賞を受賞。
・盧煜明(Yuk-ming Dennis Lo):現教授。非侵襲的出生前診断の技術を開発。
②香港科技大学
二つ目は、香港科技大学(The Hong Kong University of Science and Technology)であり、新界に位置する西貢区に本部がある公立大学である。1991年に設置された新しい大学である。
学生数は約1.6万人である。理学院、工学院、工商管理学院、社会科学院の4学院(学部に相当)を有している。
本HPで取り上げた著名な研究者に次の人がいる。
・鄧青雲(チン・W・タン):現教授。有機EL(OLED)や有機ELディスプレイ技術の開発者。
参考資料
・香港大学HP https://www.hku.hk/
・香港中文大学HP https://www.cuhk.edu.hk/english/index.html
・HKUST HP https://hkust.edu.hk/