はじめに

 王淦昌は、ドイツに留学した物理学者であり、ソ連で研究した後、両弾一星で核兵器開発に寄与した。

王淦昌の写真
王淦昌 百度HPより引用

生い立ちと教育

 王淦昌おうきんしょうは1907年に、江蘇省無錫市常熟に生まれた。

 上海での基礎教育の後、清華大学に入学し、1929年に同大学の物理学科を卒業した。1930年に官費留学生試験に合格し、ドイツのベルリン大学に留学した。1932年に、放射性崩壊の一種である内部転換に係わる電子の研究でベルリン大学から博士号を取得した。

 その後、英国、フランス、オランダなどの研究所を訪問して研究を続けた後、1934年に帰国して山東大学と浙江大学の物理学科教授となった。浙江大学の教え子の一人に、後にノーベル物理学賞を受賞する李政道がいた。

ソ連に派遣される

 新中国が建国されると、王淦昌は中国科学院近代物理研究所(現在の中国原子能科学研究院)に移った。所長は呉有訓、副所長は銭三強であった。朝鮮戦争時には戦場に赴き放射線計測を行って、敵の国連軍が核兵器を使用したかどうかを調査している。1955年には中国科学院の学部委員(現院士)に選任されている。

両弾一星に従事

 両弾一星政策が開始されると、王淦昌は1956年に他のスタッフとともにソ連のドゥブナ合同原子核研究所に派遣され、同研究所の副所長となった。その後中ソ対立が始まり、1960年には完全に中ソ間の協力は停止され、王淦昌は帰国を余儀なくされた。王淦昌は帰国後、中国独力による両弾一星開発チームに配置され、1964年の中国初の原爆実験に貢献した。

 原爆実験成功後、王淦昌は核融合の研究を進めた。文革終了後の1978年には、核工業部副部長兼原子力研究所長に就任している。王淦昌は1998年に、病を得て北京で死去した。

参考資料

・名人簡歴HP 王淦昌 https://www.gerenjianli.com/Mingren/03/3skkt2llnrk4sgi.html