はじめに

 北京大学医学部 (Peking University Health Science Center) は、中国トップクラスの歴史と実績を有する医学高等教育機関である。

 設立当初は北京大学に属していたが、時の政府の方針で単科大学として独立した時期を有している。近年の総合大学化の流れで、再び北京大学の一部となった。

北京大学医学部  同校HPより引用(撮影者:邱志維)

1. 名称と所管

(1)名称

・中国語表記 北京大学医学部  略称 北医 
・日本語表記 北京大学医学部
・英語表記  Peking University Health Science Center 略称 PKUHSC 

(2)所管

 北京大学が管轄している。北京大学は、国務院教育部の直轄大学である。

2. 本部の所在地

 北京大学医学部の本部は、北京市海淀区花園路街道学院路38号であり、学院路キャンパスと呼ばれている。

3. 沿革

(1)発端は京師大学堂の医科

 北京大学の医学部の源は、北京大学の前身である京師大学堂に1903年に設置された医学実業館(医学实业馆)である。

 京師大学堂は、清末の戊戌の変法により、1998年に設置された。京師大学堂は設立に際して、洋務運動で設立された京師同文館を吸収している。
 京師大学堂の設立当初は、清朝の官吏養成学校の色彩が強かったが、その後徐々に専門分野を増やしていった。医学教育もその一環であり、辛亥革命の前年である1910年には、経学、政法、文学、医科、農、工など8つの学部を持ち、約400名の学生が学ぶ規模となっていた。

(2)北京医学専門学校

 1911年に辛亥革命が起こり、1912年に中華民国が成立すると、京師大学堂は国立北京大学となったが、当時の政府の方針により医科を独立させることし、後述する湯爾和(汤尔和)に開校準備を依頼した。そして同年10月に「北京医学専門学校(北京医学专门学校)」が開校し、初代の校長に湯爾和が就任した。湯爾和については、下記5の特記事項を参照されたい。

(3)北平大学医学院 

 1923年に北京医学専門学校は国立北京医科大学校となり、さらに1927年には北京市内のいくつかの大学を統合して国立京師大学校が成立すると、北京医科大学校も統合の対象となり国立京師大学校医科となった。1928年に国立京師大学校が国立北平大学となると、国立京師大学校医科は国立北平大学医学院となった。なお、この北平大学と北京大学は全く別の大学である。

 1937年に日中戦争が始まると、本体の国立北平大学は西部に疎開し、医科は外国系の燕京大学や北京協和医学院などの協力で、日本軍占領下の北京で教学を一時的に継続した。

(4)院系調整で北京医学院へ

 1945年に第二次世界大戦が日本の敗北で終了すると、西部に疎開していた北京大学が北京に戻り、北京にあった医学関係の教育機関を中心として北京大学医学院が1946年に設置された。

 中華人民共和国後の大学・学部再編政策である院系調整が1952年に実施され、北京大学医学院は北京大学から分離独立し、北京医学院となった。学校の敷地も現在の海淀区学院路に移った。

 北京医学院は、1985年に北京医科大学に改名した。

(5)北京大学に復帰

 2000年に北京医科大学は北京大学と正式に合併し、北京医科大学の部分は北京大学医学部となった。

4. 規模

(1)学科、学生数

 北京大学医学部における学部生(本科)の学科は、基礎医学、臨床医学、口腔医学(歯科学)、薬学、公衆衛生・予防医学、看護学、医学技術、中西医結合の8つである。本科生の数は、2023年9月時点で、4,051名である。

 北京大学医学部の大学院は、基礎医学、薬学、公衆衛生学、看護学、医療人文科学、生涯医学教育学の6つである。修士課程の学生は2,669名、博士課程の学生は3,788名である。

(2)教職員

 北京大学医学部の教職員数は、本部と直属医院を合わせて14,830名であり、このうち本部のみでは1,869名である。専任教師は、本部と直属医院を合わせて6,224名であり、本部のみで718名である。さらに、教授(中国では博士生導師と呼ばれる)は、本部と直属医院全体で867名、本部のみで357名である。

(3)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、北京大学は清華大学と共に自ら学科を選定しうる特別な地位にあり、全体で41の学科を選定している。

 このうち、医学系学科は次の6学科である。
○基礎医学
○臨床医学
○口腔医学
○公衆衛生・予防医学
○薬学
○看護学

(4)附属医院等

○直属附属医院:北京大学医学部が所管する医院は次の6医院である。
・北京大学第一医院(北京大学第一临床医学院)
・北京大学人民医院(北京大学第二临床医学院)
・北京大学第三医院(北京大学第三临床医学院)
・北京大学口腔医院(北京大学口腔医学院)
・北京大学腫瘍医院(北京大学临床肿瘤医院)
・北京大学第六医院(北京大学精神卫生研究所)

○共建医院:北京大学医学部が他の企業などと共同で設置運営する医院は次の4医院である。
・北京大学深圳医院
・北京大学首鋼医院
・北京大学国際医院(北京大学第八临床医学院)
・北京大学濱海医院(天津市第五中心医院)

○教学医院:北京大学医学部の学生に臨床経験を積ませるために派遣している医院は次の11医院である。
・北京大学第四臨床医学院(北京积水潭医院)
・北京大学第五臨床医学院(北京医院)
・北京大学中日友好臨床医学院(中日友好医院)
・北京大学航天臨床医学院(北京航天中心医院)
・北京大学民航臨床医学院(民航总医院)
・北京大学回竜観臨床医学院(北京回龙观医院)
・北京大学中医薬臨床医学院(西苑)(中国中医科学院西苑医院)
・北京大学三〇二臨床医学院(解放军总医院第五医学中心)
・北京地壇医院教学医院(北京地坛医院)
・北京大学首都小児科研究所教学医院(首都儿科研究所)
・北京大学海淀医院教学医院(北京市海淀医院/北京大学第三医院海淀院区)

(5)国家重点実験室など

○国家重点実験室(1)
・天然薬物・生体薬物国家重点実験室(天然药物及仿生药物国家重点实验室)

○国家工程実験室(1)
・口腔デジタル医療技術・材料国家工程実験室(口腔数字化医疗技术和材料国家工程实验室)

○国家臨床医学研究中心(5)
・産婦人科(北京大学第三医院)
・精神心理疾病(北京大学第六医院)
・口腔疾病(北京大学口腔科医院)
・皮膚・免疫(北京大学第一医院)
・血液系疾病(北京大学人民医院) 

5. 特記事項

(1)初代校長・湯爾和(汤尔和)

 北京医学専門学校の初代校長は、日本にも留学した湯爾和(汤尔和)である。

湯爾和の写真
北京医学専門学校初代校長・湯爾和 百度HPより引用

 湯爾和は、1878年に現在の浙江省杭州に生まれ、1903年に日本に留学して成城学校で学んだ。その際孫文らが主導した中国同盟会に参加している。翌年一旦中国に帰るが、1907年に再び日本に留学し、石川県の金沢医学専門学校(現在の金沢大学医学部)に学んだ。その後ドイツのベルリン大学に転校し、そこで医学博士の学位を取得した。1910年に帰国し、辛亥革命に参加し、革命成功後は新政府に出仕した。
 湯爾和は、1912年から1915年までと1916年から1922年までの2度にわたって、北京医学専門学校の校長を務めている。その後政府の教育や内務、財務の責任者を務めた後、1929年に再度日本に留学し、東京帝国大学から医学博士の学位を得ている。帰国してからも政府の要職にあったが、1940年肺がんにより北京で死去した。湯爾和の夫人は日本人であり、音楽の教師であった。

(2)レベルの高い附属医院・教学医院

 北京大学医学部が設置している附属医院は、上記4.(5)のとおり6か所である。これら6か所の附属医院は、復旦大学の医院管理研究所が公表しているランキングで、全てが100位以内に入っている。
 具体的には北京大学第一医院(第11位)、北京大学第三医院(第12位)、北京大学人民医院(第21位)、北京大学腫瘍医院(北京大学肿瘤医院、第66位)、北京大学口腔医院(第74位)、北京大学第六医院(第95位)である。

 さらに、11ある教学医院(学生に臨床経験を積ませるために派遣している医院)のうち、北京大学第四臨床医学院(北京积水潭医院、第55位)、北京大学第五臨床医学院(北京医院、第69位)の2つが100位以内にランクインしている。

 ここでは、20位以内にランクインしている2つの医院を簡単に紹介する。

① 北京大学第一医院(ランキング第11位)

北京大学医学部附属の第一医院の写真
北京大学第一医院 通称:北大医院  同医院のHPより引用

 北京大学第一医院(通称:北大医院、Peking University First Hospital)は、辛亥革命後に北京医学専門学校となった後に、教学用の附属医院として1915年に設置された。
 北京市内の西城区西什庫大街に本部を構えており、2023年現在で、ベッド数が2,259床、外来患者数が年間324万人、入院患者数が11万2千人、手術数が4万6千件である。

② 北京大学第三医院(ランキング第12位)

北京大学医学部の第三医院の写真
北京大学第三医院(通称:北医三院)

 北京大学第三医院(通称:北医三院、Peking University Third Hospital)は、北京医学院時代の1958年に設置された比較的新しい附属医院である。
 北京市内の海淀区花園北路に本部を構えていて、北京大学医学部の本部に比較的近い位置にある。ベッド数は1,752床である。少し古いが2015年現在で、外来患者数が421.33万人、入院患者数が9.61万人、手術数が5.8万件である。

(3)ノーベル賞受賞者・屠呦呦

 中国国籍の研究者として、初めて科学関係のノーベル賞を受賞した屠呦呦は、北京大学医学部の卒業生である。

屠呦呦の写真
北京大学医学部卒でノーベル賞を受賞した屠呦呦

 屠呦呦は、1930年に浙江省寧波に生まれ、院系調整前の1951年に北京大学の医学部薬学科に入学した。卒業後は、政府の中医研究院に配属され、漢方の研究を行った。そこで、マラリアの特効薬開発で成果を挙げ、2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。屠呦呦は、中国に生まれ、中国のみで教育を受け、中国で研究活動を行った研究者として、初めての受賞であった。

参考資料

・北京大学医学部HP https://www.bjmu.edu.cn/
・北京大学HP https://www.pku.edu.cn/
・学校创始人—汤尔和 https://archives.bjmu.edu.cn/byjy/bylzp/80c60be4784d44c7b71a9a56f5a1e054.htm
・中国医院及专科声誉排行榜 https://rank.cn-healthcare.com/fudan/national-general
・北京大学第一医院HP https://www.pkufh.com/