はじめに

 江綿恒(江绵恒、Mianheng Jiang、1951年~)は、中国最高指導者であった江沢民の長男として生まれ、中国科学院副院長や上海科技大学学長などを歴任した。

江綿恒の写真 
江綿恒 百度HPより引用

 江綿恒は、科学関連の著名な賞受賞者のような顕著な成果を挙げた研究者ではないが、新設の上海科技大学を中国科学院の協力を得て中国トップレベルに押し上げた功績や、筆者が面談したことのある人物でもあるので、ここに取り上げた。

生い立ち~父は江沢民

 江綿恒(江绵恒、Mianheng Jiang)は、江沢民元中国国家主席・中国共産党総書記の長男として、1951年に上海で生まれた。

 父親の江沢民は、1926年に現在の江蘇省揚州市に生まれ、1947年に上海の国立交通大学(現在の上海交通大学)電気工学科を卒業して、市内の製造工場に勤務した。その後、第一機械工業部に移り、旧ソ連やルーマニアん派遣された後、同部の幹部となった。1987年に共産党中央政治局委員兼上海市党委書記となり、1989年の天安門事件により失脚した趙紫陽に代わって党総書記となった。
 以降2002年まで党総書記の任にあったが、この時代にWTOへの加盟などにより中国の経済は大きく発展し、長らく西欧の植民地であった香港、マカオが返還された。

江沢民時代
江綿恒の父・江沢民 百度HPより引用

教育

 江綿恒は、地元の中学校などで基礎教育を受けた後、上海の復旦大学に入り、1977年に同大学物理学科を卒業している。彼が入学した当時は、大学の共通入試である高考が中断していた時代で、労働者、農民、兵士などで優れた業績を挙げた若者を共産党が推薦して大学に入学させていた時代であった。

 江綿恒はその後、北京の中国科学院半導体研究所の研究生となり、1982年に同研究所から修士学位を取得し、上海に戻って中国科学院上海冶金研究所(現在の上海マイクロシステム・情報技術研究所)に勤務した。

米国への留学

 江綿恒は、1986年に米国ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるドレクセル大学に留学し、高温超電導材料や半導体物理を学んだ。

 1991年に、同大学より電気工学でPhDを取得し、米国のヒューレットパッカード社に勤務した。

帰国後、中国科学院副院長に

 江綿恒は、1993年に中国科学院上海冶金研究所に戻った。そこでは、研究成果の産業化と研究所の組織管理を中心とした業務に従事し、1997年に上海冶金研究所の所長に就任した。

 江綿恒は、1999年に中国科学院副院長に就任した。当時の中国科学院院長は、路甬祥(Lu Yongxiang、1942年~)である。

 中国科学院副院長時代は、ハイテク関連の研究開発を担当した。江綿恒は、中国で初めての有人飛行となった神舟5号の打ち上げや月探査衛星の嫦娥プロジェクトなどで、中国の宇宙開発で大きな貢献をしたとされている。

上海科技大学の初代学長に就任

 江綿恒は、2011年に中国科学院副院長を退任したが、2005年から兼務していた中国科学院傘下の上海地区の研究所を統括する上海分院の分院長は引き続きとどまった。

 江綿恒は、2013年に新設された上海科技大学(ShanghaiTech University)の初代学長に就任した。
 上海科技大学は、中国科学院と上海市人民政府が、協力して設立した大学である。完全な中国科学院傘下の組織ではないため、中国科学院の関係者は0.5校分の大学であると呼んでいる。ちなみに、正式名称でも「科学技術」と言う文言ではなく、「科技」という文言が用いられている。
 上海科技大学は、浦東サイエンスパーク内の約70万平方メートルの敷地に建設されており、建設資金の約42億元(約700億円)は上海市が負担している。

上海科技大学のキャンパス風景
上海科技大学のキャンパス風景 出典:百度百科

 同大学は、近年に設置された大学としては国内の大学ランキングでの評価が高い位置にあり、江綿恒初代学長の尽力や中国科学院の全面的なバックアップが大きいと考えられる。
・軟化ランキング(2025年) 中国全体で41位
・校友会ランキング(2025年)中国全体で26位相当

 江綿恒は、2024年に上海科技大学の学長を退任した。

鄧小平の次女・鄧楠

 江綿恒と同様、中国の最高指導者の子供として生まれ、科学技術関係の要職にあった人物として、鄧小平の次女・鄧楠(邓楠、Nan Deng)がいる。

 鄧楠は1945年生まれで、北京大学物理学科を卒業の後、中国科学院の自動化研究所半導体研究所で研究し、その後現在の国務院科学技術部の前身である国家科学技術委員会で勤務した。1991年に国家科学技術委員会副主任(日本の副大臣クラス)、1998年に科学技術部の副部長(副大臣クラス)に就任した。
 2004年に中国科学技術協会に移って、同協会の共産党組織書記(日本の大臣クラス)となり、2011年に退任している。なお、中国科学技術協会は、中国の科学技術活動を支える非政府組織で、中国国内の各分野の学会を束ねるとともに、国際的な協力を推進している団体である。

鄧小平の次女・鄧楠
鄧小平の次女・鄧楠 百度HPより引用

参考資料

・上海科技大学HP https://www.shanghaitech.edu.cn/
・軟化ランキング https://www.shanghairanking.cn/rankings/bcur/2025
・校友会ランキング https://baijiahao.baidu.com/s?id=1820465045512552833&wfr=spider&for=pc