国立台湾大学は、中国共産党が支配する中華人民共和国の大学ではないが、中国系であり優れた科学者を多く輩出しているので、ここで番外編として取り上げる。

国立台湾大学の概要

○国立台湾大学は、台湾の台北市にある大学である。

○日本の植民地時代の1928年に設立された「台北帝国大学」を前身とする。

○台湾の最高学府である総合大学で、科学技術関係でも優れた人材を輩出しており、その中にはノーベル化学賞を受賞した李遠哲博士がいる。

国立台湾大学の写真
国立台湾大学 同校のHPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 国立台湾大学 
・繁体字(台湾)表記 國立臺灣大學  略称 臺大
・英語表記 National Taiwan University 略称 NTU

(2)所管

 中華民国(台湾)行政院の教育部が所管している。

2. 本部の所在地

 国立台湾大学の本部は、台湾の首都・台北市南部の大安区にある。

 中国大陸の人達が、台湾を認識したのは三国志の時代と言われており、中国では比較的新しい。しかし、その後の随王朝以降はほとんど歴史に登場せず、また歴史書に記述があっても台湾と琉球が混同して記述されていた。
 大航海時代になるとオランダ人が進出し、植民地が建設された。明末に鄭成功が台湾を支配し、さらに清朝が台湾を統治することにより、ようやく台湾が中国の一部と認識されるようになった。
 1895年、日本が日清戦争で清に勝利し、下関条約により台湾島・澎湖諸島が日本の植民地となったが、1945年に第二次世界大戦での日本敗北により、台湾は中国民国国民政府に返還された。1949年に国共内戦で中国共産党に敗北した蒋介石率いる国民党は、中国大陸の南京から台湾の台北へ撤退した。この状況が現在まで続いている。

 首都台北市は、台湾島の最北部に位置し、人口約260万人である。
 台北市は北緯25度付近にあって、東アジア大陸と太平洋に挟まれており、亜熱帯気候が特徴である。四季は存在し、夏の気温は30度以上、冬の気温は15度前後である。
 台北市は台湾経済の中で金融、メディア、通信の中心地としての地位を占めている。ただ、ITや科学技術関係の中心地は、台北市から西南西に50キロメートルに位置する新竹市であり、ここにはTSMCの本社などがある。

国立台湾大学のある総統府の写真
中華民国総統府(旧台湾総督府) 百度HPより引用

 

3. 沿革

(1)台北帝国大学として設立

 台湾が日本統治であった1928年に、「台北帝国大学(臺北帝國大學)」が設置された。帝国大学としては、東京帝国大学、京都帝国大学、東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学、京城帝国大学に続くものであり、7校目であった。その後、大阪帝国大学と名古屋帝国大学が設置され、日本敗戦前には9校が帝国大学であった。なお、内地の帝国大学は文部省の所管であったが、京城帝国大学は朝鮮総督府、台北帝国大学は台湾総督府の所管であった。

 初代の学長は、日本人の幣原坦である。幣原坦は、1870年に大阪で生まれ東京帝国大学の教授などを務めた東洋史の学者であり、文部省局長などを務めた教育官僚でもあった。外交官出身で戦後総理大臣を務めた幣原喜重郎は実弟である。幣原は、友人で台湾総督を務めた伊沢多喜男の勧めで台湾に赴き、台北帝国大学の設立に尽力した。

 台北帝国大学の設立時の学部は、文政学部、理農学部の2つであった。台湾に設置された大学ではあったが、学生はほとんど日本人であり、第一回の卒業生46名のうち、台湾出身者は5名に過ぎなかった。

 1936年に医学部を設置し、1943年に理農学部を分離して理学部と農学部を設置し、同年さらに工学部を設置した。1945年の日本敗戦時には、文政、理、農、医、工の5学部体制であり、総合大学に発展していた。 

(2)日本の敗戦により国立台湾大学に

 第二次世界大戦で日本が敗北した後、1945年11月に中華民国代表の羅宗洛と台北帝国大学第4代学長の安藤一雄との間で引き継ぎ協議が行われ、同大学の校舎、設備等は中華民国に接収された。大学名は当初「国立台北大学」であったが、翌1946年に「国立台湾大学」に改められた。学部も文政学部が文学部と法学部に分離され、6学部体制となった。

 中華民国人として初めての学長となった羅宗洛は浙江省出身で、日本の旧制第二高等学校と北海道帝国大学を卒業して農学博士となり、国立中央大学や浙江大学の教授を務めていた。

 国立台湾大学は、その後も順調に発展拡大し、台湾随一の名門大学として現在に至っている。

 なお、台北帝国大学は連続性を有しつつ国立台湾大学に接収されたが、外地にあったもう一つの帝国大学の京城帝国大学は、一旦米軍に接収されて廃校となり、その後ソウル大学が新設された。従って、ソウル大学は京城帝国大学を自らの母体と認めていない。

4. 現在の指導部

 国立台湾大学の指導部は、中国大陸の大学と違い、欧米や日本の大学と同様に学長(校長)が実質的な責任者である。
 なお、中国大陸の大学には中国共産党委員会が置かれ、そのトップの党委書記が大学の最高責任者であるが、国立台湾大学にはそのような職位はない。

(1)陳文章学長

 2023年現在の学長は、陳文章である。生年月日や出身地はウェブ上にないが、現在60歳前後であり、1985年に国立台湾大学で化学工学の学士学位を、1993年に米国ロチェスター大学で化学工学の博士学位をそれぞれ取得している。1996年から母校で教鞭を取り、2000年に教授に昇進、2023年1月から同大学の学長に就任している。

(2)副学長

 学長を補佐する副学長は4名である。丁詩同副学長はオハイオ州立大学博士、廖婉君副学長(女性)は南カリフォルニア大学博士、曾宛如副学長(女性)はロンドン大学博士、張上淳副学長は国立台湾大学博士である。

(3)第5代学長・銭思亮

 国立台湾大学となってからの学長は、陳文章現学長まで13代を数えるが、最も有名な学長は銭思亮である。

 銭思亮(钱思亮、Shih-Liang Chien)は、1908年に大陸の河南省に生まれた。父親・銭鴻業は著名な法律家・裁判官であり、銭家自体も浙江省の名門であった。銭思亮は清華大を卒業して米国イリノイ大学に留学し、化学で博士学位を取得の後帰国して、清華大学や国立西南大学の教授であった。国共内戦の後、1949年に南京から台湾に逃れて国立台湾大学に移り、1951年に同大学の学長に就任した。
 国立台湾大学に就任した銭思亮は、約20年にわたり学長職にあって、台湾における高等教育制度の確立に尽力した。1970年には中央研究院の院長に就任し、その後13年間同院院長として台湾全体の科学技術の発展に尽力した。

 銭思亮には三人の男子があり、長男・銭純は台湾中央銀行の副総裁や財政部長を、次男・銭煦(シュー・チェン)はカリフォルニア大学サンディエゴ校教授を、三男・銭復は台湾の外交部長を、それぞれ務めた。

シュー・チェン一家の写真
銭思亮一家の写真(1939年)後列は銭思亮と妻張婉度
前列右より長男銭純、次男銭煦、父銭鴻業、三男銭復

 

5. 規模

(1)規模のデータ表

 国立台湾大学の規模は、次表の通りである。中国本土の大学と比較するとそれほど大きな大学ではない。留学生の数が多いが、これは中国本土の学生も含めているからである。

 国立台湾大学(2022年度)中国本土第1位の大学 
学部学生数17,074名(75位相当)鄭州大学 47,000名詳細データ
大学院生数16,420名(35位相当)清華大学 38,783名詳細データ
留学生数4,187名(4位相当、
本土学生を含めた数字)
北京大学 6,857名詳細データ
専任教師数2,115名(53位相当)吉林大学 6,506名詳細データ
総予算約41億元(50位相当)清華大学 362.11億元詳細データ

(註)国立台湾大学の総予算は、2022年度で約205億台湾ドルである。5台湾ドルを1中国元で換算している。

(2)キャンパス

 本部は台北市の大安区にあり、台北市内の中正区に水源キャンパスと城中キャンパスが、新竹市に竹北キャンパスが、台湾中部の雲林県に雲林キャンパスがそれぞれ設置されている。

(3)学部

 大学のHPによれば、日本の大学の学部に相当する学院は全体で次の16となっている。

 文学院、理学院、社会科学院、医学院、工学院、生物資源・農学院、管理学院、公共衛生学院、電気情報学院、法律学院、生命科学院、国際学院、創新設計学院、重点科技研究学院、教育センター、継続教育学院

6. 国内的・国際的な評価

(1)Nature Index

  科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。現在取り扱われている学術誌は82誌であり、ネイチャー及びその関連の専門誌だけではなく他の一流学術誌・科学雑誌であるセル、サイエンスなどが含まれている。
 Nature Index2022は、2021年一年間で掲載された論文を、著者の所属研究機関別にカウントしたもので、その中から国立台湾大学を見ると、論文数で89.58であり、世界順位で184位である。これは中国大陸の一流大学と比較するとそれほど高くない。

(2)大学ランキング

 英国ロンドンに本拠を有するQuacquarelli Symonds Limited(QS)が公表している大学のランキング2024で見ると、国立台湾大学は世界全体の中で69位に位置する。中国大陸にある大学でこれより上位にあるのは、北京大学(17位)、清華大学(25位)、浙江大学(44位)、復旦大学(50位)上海交通大学(51位)の5校である。

 一方、英国系の教育雑誌であるTimes Higher Education(THE)が公表している大学のランキング2024で見ると、国立台湾大学は世界全体の中で152位である。中国大陸にある大学でこれより上位にあるのは、清華大学(12位)、北京大学(14位)、上海交通大学(43位)、復旦大学(44位)、浙江大学(55位)、中国科学技術大学(57位)、南京大学(73位)、四川大学(150位)の8校である。

(3)李遠哲(ノーベル化学賞受賞)などの出身校

 国立台湾大学は、台湾出身者として初めてノーベル賞を受賞した李遠哲(Yuan Tseh Lee)の出身校である。
 李遠哲は1936年に、台湾新竹市で生まれた。1955年に国立台湾大学の化学工学科に入学し、途中で化学科に転科し1959年に同大学を卒業した。その後、国立清華大学や米国カリフォルニア大学バークレー校で学んだ後、1986年に化学反応素過程の研究によりノーベル化学賞を受賞した。

 李遠哲以外にも、優れた科学者を多く輩出しており、このHPで取り上げている科学者の中で、国立台湾大学を卒業した科学者は次の通りである。
アンドリュー・チーチー・ヤオ(姚期智)清華大学教授
シュー・チェン(銭煦)カリフォルニア大学サンディエゴ校教授
チーフェイ・ウォン(翁啓恵)台湾中央研究院
ホークァン・マオ(毛河光)米国カーネギー研究所
ジェリー・ワン(王学荆)元カルガリー大学教授

(4)優れた政治家を輩出

 国立台湾大学は、台湾随一の大学として、これまで多くの政治家などを輩出してきた。

 具体例として台湾の元首である中華民国総統を見たい。

 蒋介石が中国大陸から逃れて台湾に入った後、中華民国総統は一時的で例外的な期間を除いて、蒋介石とその子蒋経国であった。1988年に蒋経国の後を継いだのが、台湾の民主化を強力に推進した李登輝であり、彼は戦前京都帝国大学に入学したが、戦後国立台湾大学に編入を許可され、1949年に卒業している。

 李登輝の後を継いだ陳水扁、馬英九、および現在の蔡英文のいずれもが、国立台湾大学の出身である。2024年1月13日に総統選挙が行われたが、その選挙で当選した民進党の頼清徳(1959年~)も国立台湾大学でリハビリテーション医学(國立臺灣大學復健醫學系)を学んでいる。

7. 特記事項

 ここでは、台湾にある他の有力大学を取り上げ、その概要を述べる。台湾の大学では、国立大学が優位にあり、その中でも「台・成・清・交」と呼ばれる4校が別格扱いになっている。台は国立台湾大学、成は国立成功大学、清は国立清華大学、交は国立陽明交通大学のことである。ここでは、国立台湾大学以外の3校を紹介する。

(1)国立成功大学

 国立成功大学(國立成功大學、National Cheng Kung University)は、日本統治時代の1931年に、台湾南部の台南市に設立された台南高等工業学校が母体であり、日本敗戦後に中華民国に接収されて台湾省立工学院となった。1956年に国立成功大学となり、文理学部や商学部が設置されて総合大学となった。台湾中南部で最難関大学として知られる。「成功」の名は、明の時代に台湾を支配した鄭成功に由来する。

国立成功大学の正門写真
国立成功大学の正門 百度HPより引用

(2)国立清華大学

 国立清華大学(國立清華大學、National Tsing Hua University)の前身は1911年に北京で創立された清華学堂であり、国共内戦の結果中国共産党に接収され、大部分の教員は新中国の清華大学に残ったが、一部の教員などの関係者は蒋介石と共に台湾に移り住んだ。
 1953年から米国アイゼンハワー大統領のイニシアティブにより米国による関係国への原子力協力が開始され、台湾にも原子炉が米国から供与されることとなった。そのため原子力研究の受け皿が必要となり、1955年に大陸から台湾に逃れてきた清華大学の関係者は新竹市に原子科学研究科(大学院)を有する「国立清華大学」を再興したのである。

国立清華大学の正門 同大学のHPより引用

(3)国立陽明交通大学

 国立陽明交通大学(國立陽明交通大學、National Yang Ming Chiao Tung University)は、2021年に国立交通大学と国立陽明大学が統合して出来た大学である。

 国立交通大学の前身は1896年に上海で創立された南洋公学であり、これが発展して国立交通大学となった。国共内戦の結果中国共産党に接収され、大部分の教員は新中国の国立交通大学に残ったが、一部の教員などの関係者は蒋介石と共に台湾に移り住んだ。なおその後、大陸の国立交通大学は上海の上海交通大学と西安の西安交通大学に分かれている。どちらも大陸の名門校である。
 台湾の国立交通大学は、大陸から逃れた国立交通大学の関係者を中心として、1958年に新竹市にて復興された。

 一方の国立陽明大学は、1975年に設立された国立陽明医学院であり、1994年に国立陽明大学と名称を変更したが、引き続き医学単科大学として医療関係者の育成を目標とした教育を行っていた。

国立陽明交通大学の風景写真
国立交通陽明大学の風景 同校のHPより

参考資料

・國立臺灣大學HP https://www.ntu.edu.tw/
・國立成功大學 https://www.ncku.edu.tw/
・國立清華大學HP https://www.nthu.edu.tw/
・國立陽明交通大學HP https://www.nycu.edu.tw/nycu/ch/index