文革収束後に科学の春や四つの近代化が提唱され、百人計画などの回帰政策も実施されて、ライフサイエンスも大きく進展していった。

1. 科学の春と四つの近代化

 文革終了後に復活した鄧小平は、全国科学大会で「科学技術は第一の生産力である」とし、「できるだけ早く世界レベルの科学技術専門家を育成することが重要課題である」と主張し、中国に「科学の春」をもたらした。

全国科学大会の開催
全国科学大会の開催 百度HPより引用

 多数の科学者・研究者に対する文革中の罪が晴らされ、教壇や研究に戻った。

 中国科学院では、地方に移管された研究機関が再び傘下の研究機関に復帰し、また新しい研究機関が設立された。文革中にほとんど活動を停止していた大学などの平常業務への復帰が急ピッチで進み、全国大学統一入学試験(高考)が再開された。

 また西側諸国との国際連携が復活し、優秀な人材が欧米や日本に国費留学生として派遣された。

2. 回帰政策と科教興国戦略

 文革時代の約10年間の空白は大きく、1980年代や1990年代の中国においては、中堅若手の人材が決定的に不足していた。

 そこで政府が取り組んだのは、海外にいて優れた成果を上げた中国人研究者の呼び戻しであった。この呼び戻し政策は「海亀政策(回帰政策)」と呼ばれ、1994年に中国科学院によって開始された「百人計画」がその最初を飾る。
 「百人計画」は、中国科学院が主導して1994 年に開始された最初の「高目標、高基準、高強度」人材の招致、育成政策である。計画立案の当初、20世紀末までに国内外の優秀な若手学術リーダーを毎年100人抜擢することを目標として掲げたことから「百人計画」と名付けられた。1997年より「海外傑出人材導入計画」と「国内百人計画」とに分けられ、2001年には「海外有名学者計画」が追加された。

 中国政府の求めに応じて、優れた人材が続々と帰国し、非常に若くして研究責任者、研究室長、大学教授などに就いた。

 さらに中国政府は1995年に、主に科学技術と教育によって経済の発展と社会の進歩を促進すべきであるとする「科教興国戦略(科学・教育立国戦略)」を示した。
 1997年、「重点基礎研究発展計画(973計画)」を開始し、経済・社会発展における重大な科学問題を解決しようとした。
 また、21世紀に向けて高等教育を発展させる大学重点化政策である「211工程」(1995年)ならびに「985工程」(1998年)を開始した。

3. ライフサイエンスも大きく発展

 ライフサイエンスも、この時期から画期的に拡大していく。

 欧米や日本において、分子生物学、構造生物学などの新しい生物学を学んだ気鋭の科学者や研究者が百人計画などで帰国し、大学や研究所の研究責任者に就いていった。

 政府は設備装置や研究費の面で彼らを支援し、それに応えて彼らは優れた成果を上げていった。

 鄧小平が主導した改革開放路線による経済政策が成功し、2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟すると経済がさらに急激に発展し、研究成果が質量ともに急激に増大するとともに、回帰組の人材が研究所長や大学学長に続々と就任していった。