はじめに
張傑(张杰、1958年~)上海交通大学元学長は、ドイツや英国に留学の後、中国科学院物理研究所の研究員となった。強磁場物理学やレーザー核融合の研究で成果を挙げ、2021年の未来科学大賞物質科学賞を受賞している。
生い立ちと教育
張傑(张杰、Jie Zhang)は、1958年に大陸北部の山西省太原に生まれた。幼少期に家族とともに、万里の長城を挟んで北に位置する内モンゴル自治区(内蒙古自治区)の小さな町に移転した。中国の自治区とは省や直轄市(北京、上海など)と同格の行政単位であり、内モンゴル自治区以外に広西チワン族自治区、チベット自治区、新疆ウイグル自治区、寧夏回族自治区が存在する。
張傑が8歳となった1966年に文化大革命が勃発し、以降学校教育がほとんど実施されなかった。張傑の父は、科学的な知見があり手先も器用な人であったため、知的好奇心旺盛であった張傑と色々な実験を行った。
ある日、鳥の雛を卵から孵化させることを思いついた二人は、孵化器を自ら造り、その孵化器にバイメタルを用いたヒーターを取り付けた。孵化器に温度計を取り付け、温度が低いとヒーターが発動し、高くなるとヒーターが止まるというシステムである。この孵化器出の実験を約1か月続け、毎日観察してはそれを記録した。残念ながら孵化しなかった。
また、父と二人で食塩水を用いて電気分解の実験を行い塩酸を作成したが、その際塩素ガスが発生して家中の鉄製品が錆びるという事件が起こった。これには母親もびっくりし、父と二人は叱られたという。
これ以外にも、家庭内にある材料を用いて色々な実験を父と二人で行ったが、張傑はこれらの実験が現在の科学者である自分を形成したと後に述べている。
一方、高等教育に必要な英語の習得には、母の影響があった。張傑が中学生となった時期は文革中であり、英語教育がほとんどなかったが、これを知った母はラジオを聞いて勉強することを勧めた。例によって父と二人でラジオを手作りし、このラジオで英語を独学した。母親は、毎日午前6時から午後11までラジオを付けっぱなしにし、張傑が怠けたりサボったりすると、容赦なく叱りつけた。
この甲斐あって、張傑は大学受験やその後の欧州での研究で、英語に不自由することはなかった。
復活後の高考で内モンゴル大学へ
1976年暮れに文革四人組が逮捕され、鄧小平が1977年8月に大学共通入試・高考(ガオカオ)を復活させた。復活一回目の高考は1977年暮れに行われた。
19歳となっていた張傑は、復活第一回目の高考を受験し、見事合格して翌1978年3月に、内モンゴル自治区フフホトにある内モンゴル大学物理学科に入学した。ちなみにこの復活第一回高考は、全国で約570万人が受験したが、文革の影響を受けた大学側の受け入れ体制を考慮して合格者はわずか約28万人と、極めて厳しい試験であった。
張傑は物理学科で半導体物理および固体物理を専攻し、1982年に学士の学位を、さらに1985年に修士の学位を取得した。
その後、張傑は北京に出て、中国科学院物理研究所の研究生となった。中国では、ロシアの方式を導入し、大学以外の研究所でも博士や修士を要請できるシステムを有している。物理研究所では、レーザーなどを研究する光物理学を専攻し、1988年に博士の学位を取得した。
ドイツや英国で研究
博士の学位を取得した張傑は、短期間物理研究所で働いた後、1989年に渡欧し、ドイツのガルヒング・バイ・ミュンヘンにあるマックス・プランク量子光学研究所(MPI für Quantenoptik、Max Planck Institute of Quantum Optics)でポスドク研究を行った。
張傑は2年後の1991年に英国に移動し、オックスフォードシャーのチルトンにあるラザフォード・アップルトン研究所( Rutherford Appleton Laboratory)の研究者となった。
博士学位取得以来、張傑はレーザー、とりわけX線レーザーを主な研究対象とした。英国の研究所では、X線レーザーの発光と出力の最小比を目指し、当時の飽和X線レーザーの最短波長である5.8ナノメーターという記録を打ち立てた。
また、X線レーザーを利用したレーザーの変動過程における流体力学的不安定性の研究や、超高速レーザーの「穿孔」速度についての測定などを行って、X線レーザーの応用分野でも重要な成果を挙げた。
中国科学院物理研究所へ
張傑は、1999年1月に10年の滞欧を終えて中国に帰国し、古巣である物理研究所に戻り、副所長兼光物理重点実験室主任となった。帰国直後の1999年9月には日本を訪問し、12月までの4ヶ月間、東京大学の客員研究員となっている。
張傑は、物理研究所内にレーザー・プラズマ実験施設を特別に設計し、これを利用して、太陽フレアにおける磁気リコネクションジェットの生成、太陽コロナ領域での物質放出などを研究した。模擬の太陽を作成し、これにより宇宙空間をシュミレーションしようとするもので、新たな天体物理学への挑戦であった。
張傑は、これらの業績により2003年に、中国科学院の院士に選出されている。
上海交通大学学長に就任
張傑は、2003年に中国科学院本部に異動し、本部内の組織である基礎研究局長(現先端科学・基礎研究局長)に就任した。中国科学院の全体像は、こちらをご覧頂きたいが、院長、副院長などに次ぐ要職である。
さらに2006年には、上海交通大学の学長(校長)に就任する。上海交通大学は、北京大学や清華大学に次ぐ中国屈指の名門校である。
張傑は、2017年に同校を去るまでの11年間、上海交通大学を世界トップレベル大学にするため、様々な努力を傾注した。その甲斐あって、例えばNSFC(国家自然科学基金委員会)の一般プログラムや青年プログラムで全国一位となり、また、科学論文数は中国第二位、引用数は第一位となった。
未来科学大賞受賞
張傑は2021年に、未来科学大賞物質科学賞を受賞した。受賞した理由として、レーザーを用いて精密に制御可能な超短パルスを生み出したことが挙げられた。この成果は、レーザーと物質間の相互作用を制御することで高速電子を生成し、それを超高空間および時間分解能の高エネルギー電子回折イメージングやレーザー核融合における高速点火研究に応用することが期待される。
未来科学大賞は、香港を拠点とする未来科学賞財団が中国における優れた業績を表彰することを目的として2016年に創設した賞であり、生命科学、物質科学、数学・計算機科学の3分野がある。
張傑は、中国科学院や上海交通大学で要職を務めたが、その間も物理研究所や上海交通大学でスタッフとともに研究を続行している。
参考資料
・中国科学院物理研究所HP 张杰 简介 https://www.iop.cas.cn/rcjy/yszj/?id=385
・子牙感悟録 “五院院士”张杰:与激光共舞,打破世界记录,带领上海交大前进 https://baijiahao.baidu.com/s?id=1714854116871254580&wfr=spider&for=pc
・未来科学大賞HP 2021 物质科学奖 获奖人 张杰 Jie Zhang https://www.futureprize.org/cn/laureates/detail/51.html