はじめに

 張存浩(张存浩)元中国科学院大連化学物理研究所長は、中国の化学レーザー研究の基礎を築き、2013年には国家最高科学技術賞を受賞している。

張存浩の写真
張存浩 百度HPより引用

生い立ちと教育

 張存浩(张存浩、Cunhao Zhang)は、1928年に天津で生まれた。生家は学者や政治家などを輩出した名家であった。祖父・張鳴岐(张鸣岐、1875年—1945年)は、科挙に合格し清朝の官僚となり、広東省の総督などを務めた。父・張鋳(张铸)は技術者で、天津化学工業局で高級工程師を務めた。伯父・叔父や叔母にも建築技師や大学教授がいた。

 張存浩が9歳となった1937年に日中戦争が勃発し、天津は日本軍に占領されてしまった。占領下での教育を快く思わなかった母は、日本軍の影響を受けない西部・重慶に張存浩を疎開させ、基礎教育を受けさせるよう、当時重慶大学の教員であった叔母夫婦に頼んた。
 張存浩は、重慶の中学校に入学し、そこでは物理と化学に興味を持ち、成績は常にクラスでトップクラスであった。

 重慶大学の教員であった叔母夫婦が、1939年に厦門大学に転勤することになったため、11歳の張存浩も同行し、厦門で基礎教育を続行した。

 1943年15歳となった張存浩は、飛び級的に厦門大学に入学し、化学を専攻した。一年後の1944年、張存浩は再び重慶に移動し、日中戦争の戦火を避けて南京から疎開していた国立中央大学(現在の南京大学)の化学工学科に転校した。
 日本の第二次世界大戦の敗北を受け、1946年に国立中央大学は南京に戻ったが、張存浩も同行し学業を続行した。1947年に同大学を卒業し、学士学位を取得した。

米国への留学

 張存浩は、国立中央大学を卒業後天津に戻り、疎開先の雲南省から天津に戻っていた南開大学の研究生となった。

 張存浩は、1948年に米国に赴き、アイオワ州立大学化学科に入学し、その後ミシガン大学化学工学科に転校した。

 張存浩は、1950年にミシガン大学から修士学位を取得した。

帰国して大連化学物理研究所へ

 張存浩は中国に戻り、東北人民政府が所管していた東北化学研究所大連分所に勤務した。
 この東北化学研究所大連分所は、戦前満鉄中央研究所であったが、日本軍が敗戦となり撤退したのち旧ソ連の支配を経て設立されたものであり、翌1952年には中国科学院に移管され中国科学院工業化学研究所となった。現在は大連化学物理研究所となっている。

 張存浩が帰国して初めて取り組んだのが、水性ガスから液体燃料を合成する研究である。張存浩らは、優れた性能を持つ新しいタイプの触媒である窒化溶融鉄触媒を開発し、流動床による水ガス石油化プロセスを確立した。

大連化学物理研究所の写真
大連化学物理研究所の建物

両弾一星政策遂行で活躍

 張存浩が続いて行ったのが、ロケット推進薬とエンジン燃焼の研究であった。このころ、毛沢東の号令で両弾一星政策が開始され、大連化学物理研究所も協力を要請されたのである。張存浩らは、固体燃料ロケットの燃料の研究を行い、エンジンの液体酸化剤インジェクターなどの主要部品を開発した。また、固体燃料の燃焼速度に関する多層炎理論モデルを提案した。
 文化大革命がはじまると、ロケット関係の部局は人民解放軍の傘下に配置替えとなり、張存浩は家族は1年半にわたって大連を離れて、地方で研究を続行した。
 張存浩らの努力が実を結び、1970年4月に長征1号ロケットにより人工衛星「東方紅1号」の打ち上げに成功し、両弾一星は完成した。

化学レーザー研究を推進

 張存浩は、1971年に再び大連に戻り、今度は化学レーザーの研究に転向した。
 張存浩は1980年代に、フッ化窒素の2つの電子励起状態を調製して可視光化学レーザーを作り出し、さらに放電開始型パルスフッ素ヨウ素化学レーザーを開発した。

 張存浩は、1980年に中国科学院学部委員(現在の院士)に当選した。

 張存浩は1986 年から 1990 年まで、中国科学院大連化学物理研究所の所長を務めた。

国家最高科学技術賞受賞

 張存浩は、2013年に国家最高科学技術賞を受賞した。国家最高科学技術賞は、2000年に設置された中国最高の科学技術賞であり、日本の文化勲章に近く、国家主席により授与される。張存浩は、国家主席である習近平より受賞している。

張存浩の受賞写真
張存浩の国家最高科学技術賞受賞

 張存浩は、2024年に北京で亡くなった。享年96歳であった。

参考資料

・中国工程院院士館HP 张存浩:国之需,我之责
https://ysg.ckcest.cn/ysgNews/1745900.html
・大連化学物理研究所HP 专家人才库 张存浩 院士;研究员http://www.dicp.cas.cn/sourcedb/zw/zjrck/200908/t20090820_2428123.html