金善宝(Shanbao Jin、1895年~1997年)
金善宝は、米国のコーネル大学やミネソタ大学で学んで帰国し、中国の小麦の品種改良に貢献して「小麦大王」と呼ばれた農学者である。
茅以升(Yisheng Mao、1896年~1989年)
茅以升は、米国留学後に帰国して橋梁工学の基礎を築き、中国の現代橋梁の父と呼ばれた技術者である。茅以升は、中国国内の著名な橋梁建設の指揮を執るとともに、人民大会堂の建設設計にも携わっている。
呉有訓 (Youxun Wu、1897年~1977年)
呉有訓 (Youxun Wu、1897年~1977年)は米国のシカゴ大学に留学し、アーサー・コンプトン教授の下で「コンプトン効果」の実証に取り組み、コンプトンのノーベル賞受賞に貢献した後、中国に帰国し、清華大学理学院長として数々の優れた物理学者を育てている。
湯飛凡 (Feifan Tang、1897年~1958年)
湯飛凡 (汤飞凡)は、国民政府時代から新中国初期に活躍した細菌学者であり、眼の病であるトラコーマ治療でも画期的な成果を挙げたが、文革前の反右派闘争で批判され、自ら命を絶っている。
張孝騫(Xiaoqian Zhang、1897年~1987年)
張孝騫は、米国に留学して医学を学び、帰国後に近代内科学の基礎を築いた。また、医学教育にも力を注ぎ、北京協和医学院や湘雅医学院の発展に寄与した。
双一流建設政策 ~ 大学と学科を世界一流に
双一流建設政策 (正式名称「世界一流大学と一流学科の建設を統合的に推進する全体企画案:统筹推进世界一流大学和一流学科建设总体方案」)は、211工程や985工程など過去の成果を踏まえ、国際競争力を向上させ、世界一流大学と一流学科(双一流)の建設を推進する政策で、2017年にスタートした。
林巧稚(Lin Qiaozhi、1901年~1983年)
林巧稚は、著名な女医であり、中国女性初という栄誉をいくつか獲得している。林巧稚は努力を重ねて近代の科学技術の歴史に名を残した。
張鈺哲(Yuzhe Zhang、1902年~1986年)
張鈺哲は、近代天文学を欧米から導入し、中国の近代天文学の基礎を築いた。中国は古代文明の発祥地の一つであり、人民統治の重要な手段を提供する天文学が発展してきた。しかし、物理学の理論や望遠鏡などを用いた近代的な天文学は、他の科学技術と同様に遅れてスタートしている。
蘇歩青(Buqing Su、1902年~2003年)
蘇歩青は、微分幾何学などで業績を残し上海の名門復旦大学などで多くの優秀な弟子を育てたことにより、中国の「数学王」と呼ばれている。日本に留学し日本人女性と結婚しその子息の一人が現在も日本で活躍している。
童第周(Dizhou Tong、1902年~1979年)
童第周は、世界初の魚類クローンを作製して中国のクローン技術の基礎を築き、クローン技術の先駆けを成し遂げた。童第周の貢献もあり、中国では現在でもクローン技術で世界トップレベルを誇っている。
趙忠堯(Chung-Yao Chao、1902年~1998年)
趙忠堯(赵忠尧)は、カリフォルニア工科大学に留学しノーベル賞クラスの実験を行った後、中国の原子科学の研究と教育の発展に尽力した。
貝時璋(Shizhang Bei、1903年~2009年)
貝時璋は、中国において発生生物学や細胞生物学などの近代的な生物学研究を推進した科学者である。107歳という長寿を全うし、創設時からの中国科学院院士であったことから、親しみを込めて「長寿院士」と呼ばれた。
裴文中(Wenzhong Pei、1904年~1981年)
裴文中は、北京郊外の周口店で、考古学の歴史的発見と言われる北京原人の完全に近い頭蓋骨を発見し、中国の考古学発展の基礎を築いた。
沈其震(Qizhen Shen、1907年~1993年)
沈其震は、中国で医学の基礎を学んだ後、日本の東京大学に留学した。帰国後、共産党軍に身を投じ、日中戦争などで軍の医学的な顧問を務め、新中国建国後は初代の中国医学科学院院長に就任した。
呉大猷(Ta-You Wu、1907年~2000年)
呉大猷(吴大猷)は、米国ミシガン大学に留学し、北京大学などで教鞭を執り、ノーベル賞学者の楊振寧や李政道を育てた。晩年は台湾に移り、台湾の中央研究院の院長などを務めた。
梅貽琦(Yi-chi Mei、1889年~1962年)
梅貽琦(1889年~1962年)は、北京大学と並び称される名門大学である清華大学の基礎を築き、台湾に渡った後も国立清華大学の創設に尽力し初代学長となった。




















