はじめに

 沈其震は、中国で医学の基礎を学んだ後、日本の東京大学に留学した。帰国後、共産党軍に身を投じ、日中戦争などで軍の医学的な顧問を務め、新中国建国後は初代の中国医学科学院院長に就任した。

沈其震の写真
沈其震 百度HPより引用

生い立ちと教育

 沈其震は1907年に西部の重慶に生まれた。

 1923年に上海の同済大学医学院(現在の華中科技大学同済医学院)に入学した。この頃から国の将来を憂えて郭沫若らと交わり、革命運動に参加している。1926年に広東省の中山大学医学院に転入し医学習得も続けた。

東京に留学

 蒋介石から指名手配された沈其震は日本留学を決断し、1927年に東京帝国大学医学部に入学した。1931年東京帝国大学から医学博士号を取得して帰国し、北京協和医学院の研究員となった。

日中戦争で共産党に加わる

 1933年には天津で診療所を開設し、患者の治療に当たるとともに、革命派の連絡拠点を提供した。1937年に日中戦争が開始されると、前線に赴き負傷兵の治療に当たったが、これが契機となって共産党軍(後の人民解放軍)の医療部門に加わることになった。
 1938年に共産党軍を取材訪問した英国のアグネス・スメドレーと面会し、医薬品援助などを申し入れている。1943年には当時共産党の本拠地のあった陝西省延安に赴き、軍の衛生部門のナンバーツーとなった。
 第二次世界大戦終了後の国共内戦時や新中国建国時には、沈其震は人民解放軍の元帥である葉剣英に従って、共産党や人民解放軍の医学顧問的な役割を果たした。

中国医学科学院院長に就任

 1956年に新中国の中国医学科学院が設置されると、沈其震は初代院長に就任するとともに、中央衛生研究院院長、大連大学医学部長などを務めた。

 文革中は迫害されたが、その後名誉回復し、農工党という民主会派の幹部を務めた後、1993年に雲南省昆明で亡くなった。

参考資料

・百度HP 沈其震 https://baike.baidu.com/item/%E6%B2%88%E5%85%B6%E9%9C%87?fromModule=lemma_search-box