はじめに

 孫家棟は、中国初の人工衛星「東方紅1号」の開発に参加し、その後の数々の衛星開発や初期の嫦娥計画を指導した。孫家棟は、人工衛星開発への多大な功績から「宇宙の総帥(航天总师)」と呼ばれている。

孫家棟の写真
孫家棟 百度HPより引用

生い立ちと教育

 孫家棟(孙家栋)は、1929年に遼寧省瓦房店(現在の大連市の一部)で生まれた。孫家棟が2歳となった1931年に柳条湖事件(918事変)が発生し、日本軍の関東軍が満洲全土を占領した後、1932年3月に関東軍主導の下に満洲国を建国した。孫家棟は、基礎教育をこの満州国の国民として受け、1942年に黒竜江省ハルビンの学校に入学したが、1945年の日本軍敗戦により満州国が消滅したため、学業中断を余儀なくされた。

 孫家棟は、1947年にハルビン工業大学の予科に入学しロシア語の習得に努めた後、本科の自動車学科に入学した。当時、ハルビンを中心とした地域はソ連軍の影響下に置かれており、ハルビン工業大学も中国とソ連の共同管理下で鉄道技術者の養成を主とし、授業はロシア語で行われていた。

空軍に入隊し、ソ連に留学

 孫家棟がハルビン工業大学の学生であった1949年に中華人民共和国が建国され、建国直後の同年11月、人民解放軍内に空軍が設立された。孫家棟は、それまで学んできたロシア語の技能を活かすべく学業を中断し、通訳として人民解放軍空軍に入隊した。

 孫家棟に大きなチャンスが訪れたのは、21歳となった1951年である。新中国建国直後は中国とソ連が蜜月の状態にあり、様々な分野でソ連は新中国建国に貢献している。その一環で、科学技術面でもソ連は有力科学技術者を指導者として中国に派遣するとともに、優れた若者をソ連に招聘し大学等で教育を行っていた。孫家棟は、空軍の他の同僚を含め総勢30名のソ連派遣者に選抜され、モスクワにあったジューコフスキー空軍工学アカデミーに留学し、航空機のエンジン技術を専攻した。同アカデミーはソ連空軍により1920年に設立された著名な航空科学の高等教育機関である。 

ミサイル開発に従事

 孫家棟は、ソ連に留学して7年後の1958年にジューコフスキー空軍工学アカデミーを優秀な成績で卒業し、中国に帰国した。帰国後は、銭学森が所長を務めていた国防部第五研究院に配属され、ミサイル開発に従事した。

 孫家棟は、銭学森率いる開発チームの一員としてミサイル技術開発に当たった。1964年10月、孫家棟らが開発したミサイルにより打ち上げられた核弾頭がロプノール上空で爆発した。この成功により両弾一星の両弾部分が完成した。

人工衛星開発に転換

 孫家棟は、その後もミサイル技術の高度化作業に従事していたが、文化大革命の混乱を受けて1967年に両弾一星政策の担当部局が再編となったのを機として、ミサイル開発から人工衛星開発に転属された。当時の人工衛星開発の責任者は、中国科学院衛星設計院(「651設計院」)院長に就任していた趙九章であった。

 孫家棟は、趙九章らとともに中国初の人工衛星「東方紅1号」の開発を進めたが、打ち上げ時期が見えてきた1968年10月に、趙九章は革命派の残虐な仕打ちに耐えかねて毒をあおいで自殺した。孫家棟らはこの悲劇を乗り越えて、1970年4月に東方紅1号の打ち上げに成功した。

 東方紅1号の打ち上げ成功の後、孫家棟は趙九章の「遺言」とも言うべき仕事を進めていく。趙九章は、1966年に開かれた中国科学院の衛星計画構想委員会で、中国の衛星シリーズの将来構想に発表していた。これは、初期は東方紅1号を含め科学観測を中心とした科学衛星の開発に注力し、その成果を元に情報収集、通信、気象、測地、測位などの応用衛星に発展させ、さらにその応用衛星の成果を元に有人宇宙飛行に発展させるというものである。

 孫家棟らは、軍事的な情報収集を目的とする中国初の回収式衛星「FSW-0」の開発を進め、1975年打ち上げを成功させた。また、通信技術試験衛星「東方紅2号」を1984年に打ち上げた。こういった実績を踏まえ、気象衛星の風雲シリーズ、地球資源探査衛星の資源シリーズ、航行測位衛星の北斗シリーズなど次々に応用衛星が中国で打ち上げられたが、これらのプロジェクトを総括したのが孫家棟である。

 このような成果を受けて、孫家棟は1992年に中国科学院院士に選出され、1999年には両弾一星功勲奨章を授与されている。

嫦娥計画を指揮

 2003年に孫家棟は、探月工程総設計士に任命された。探月工程とは月探査のことであり、「嫦娥計画」とも呼ばれる中国最初の宇宙科学ビックプロジェクトである。嫦娥は、中国の神話に出てくる月にちなむ女神である。

 孫家棟は、嫦娥計画の開始に当たり、全体を三つの段階に分けて達成する考え方を示した。第一段階では、人工衛星を月に軌道に投入し、月を周回することにより月の表面を観測する。第二段階では、人工衛星に探査機を搭載し、月の表面に探査機を着陸させて探査を行い、月表面のサンプルを地球に持ち帰る。第三段階では、有人による月面着陸と滞在を目指す。孫家棟は、このうち第一段階の指揮を自ら執り、2007年の「嫦娥1号」の打ち上げ、2010年の「嫦娥2号」の打ち上げを成功させた。

 孫家棟は、2009年に中国の科学技術者への最高栄誉である「国家最高科学技術賞」を受賞し、その頃に公的な職は引退した。

参考資料

・王建蒙「中国航天院士传记丛书:孙家栋院士传记」中国宇航出版社 2014年
・人民网HP http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2023-10/03/nw.D110000renmrb_20231003_2-08.htm
・中国科学院地质与地球物理研究所HP 「赵九章——中国人造卫星事业的奠基」 http://www.igg.cas.cn/zhuantilanmu/zhuanti_satellite/201106/t20110630_3298357.html