はじめに

 李善蘭は、衰えつつある清朝を復活させるための改革であった洋務運動において、数学を中心とした研究や欧米の書籍の翻訳で画期的な成果を挙げ、北京大学の前身である京師同文館で教鞭を取った。

李善蘭
李善蘭

生い立ち

 李善蘭(りぜんらん)(李善兰)は、曾国藩と同じ1811年に、浙江省海寧(現在の嘉興市)に生まれた。

李善蘭は、幼少期から読書好きであり私塾に通って勉強を始めた。9歳の時に、中国古代の算術の名著『九章算術』を父の本棚で発見し、数学に夢中になった。『九章算術』は紀元前に書かれ、その後色々な数学者が加筆修正して現在に伝わっている名著である。
 さらに14歳の時、独学で『幾何原本』全6巻を読破し、数学の造詣をさらに高めた。『幾何原本』は、古代ギリシャのユークリッドが編纂した『ストイケア:原論』前半部を、明代の科学者徐光啓とイエズス会の宣教師マテオリッチ(利瑪窦)が共同で1606年に漢訳したものである。

 青年となった李善蘭は、科挙の地方試験・郷試を受けたが、残念ながら失敗してしまった。しかし、受験のために滞在した杭州で、李冶の『測円海鏡』や戴震の『勾股割円記』といった数学の古典を買い求め、数学の知識をさらに高めていった。
 その後、引き続き科挙に合格することを目指して同様の志を持つ故郷の仲間とともに漢詩などの勉学に励んでいたが、これに併せて数学的な素養も磨き、例えば夜間に星の観測を行ったり、比例の原理を用いて近くの山の高さを推定したりした。

墨海書館で翻訳に従事

 1840年にアヘン戦争が勃発すると、李善蘭は帝国主義的な西欧列強に激しく反発し、科学の力で中国を救済しようと決心した。その後、江蘇省や浙江省に在住していた在野の数学者と交流を開始して数学的な才能を強化し、35歳となった1846年に自らの数学の研究成果に基づき『方円闡幽(せんいう)』など3つの著作を刊行した。

 1852年に李善蘭は、自らの研究成果を西洋人に評価してもらうため、上海にあって西欧の文献を翻訳出版していた「墨海書館」を訪問した。墨海書館は、1843年に英国の宣教師が創立し、上海で一番早く活字印刷術を導入した現代的出版社で、1863年まで20年間活動した。活版設備の印刷機は鉄製で、ベルトで結ばれた別室には牛がいて、動力源としていたという。
 李善蘭は、当時墨海書館にいた英国人宣教師アレクサンダー・ワイリーと会って自らの数学的著作を見せたところ、ワイリーはこれらの著作を高く評価し、同書館で働くことを強く勧めた。

 ワイリーの勧めに同意した李善蘭は、その後墨海書館内に住み、ワイリーと共同でユークリッドの『ストイケア:原論』後半部を『幾何原本』9巻に漢訳したのを手始めに、『代数学』13巻、『代微積拾級』18巻、『植物学』8巻などを翻訳した。また李善蘭らは、ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理:プリンキピア』の翻訳にも挑んだが、残念ながら達成できなかった。

幾何原本
『幾何原本』第七巻之首に「英国 偉烈亜力(アレクサンダー・ワイリー)口訳 海寧(浙江省嘉興市海寧州)李善蘭筆受(翻訳)」とある。
出典:『幾何原本』第七巻(京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)

京師同文館へ

 1862年、李善蘭は曾国藩の幕に入り、科学顧問的な役割を果たすとともに、同じ曾国藩の幕にあった化学者の徐寿らと交流を持った。曾国藩は、李善蘭の求めに応じてユークリッド幾何学の翻訳本『幾何原本』の出版費用を援助している。

 京師同文館は1862年に、外国語ができる人材の育成を目的として北京に設立されたが、教師の中心は外国人の宣教師たちであった。その後、天文演算学館(天文数学科)の増設に合わせ、曾国藩が李善蘭を京師同文館に招聘し、李善蘭は同文館の教師となった。

 李善蘭が京師同文館で教鞭を取っていた1868年から1882年までの間は、外国の侵略や内部の反乱が続いた清末では、まれに見る平和な時代であった。とりわけ、西太后を母とする同治帝(在位期間1861年~1875年)の時代は、アロー戦争の敗北、太平天国や捻軍の反乱の鎮定の後に比較的安定が続いた時期で、「同治の中興」と呼ばれている。李善蘭は約15年間にわたって京師同文館で数学の教鞭を取り、育てた科学者・数学者は約百人余りに達し、その後の中国の近代科学、特に数学の知識を広める上で重要な役割を果たした。

数学の業績

 李善蘭の数学研究の業績としては、円錐曲線論、等差級数、素数論の3つが有名である。
 李善蘭は翻訳にあたって多くの数学に関する名詞を発明した。具体的には「代数」、「変数」、「函数」、「係数」、「微分」、「相似」などで、李善蘭の多くの訳書が日本に持ち込まれたことにより、これらの用語は現在でも日本で使われている。また、現在でも使用されている数学記号の=、×、÷、<、>は、李善蘭が最初に訳書に使用している。数学以外にも「植物」などの訳語を創作している。

 李善蘭は、1882年に71歳で死去した。

参考文献

・楊自強『李善蘭:改變近代中國的科學家』新銳文創、2017年