施設や装置の破壊(1967年~)

 施設や装置の破壊は、文革初期における文化大革命の大きな特徴であり、建国以来の科学的な資産が大きく損なわれた。

 文化大革命初期の1966年から67年頃までは、革命のイニシアティブを巡って内乱状態となった。あらゆる施設で武力衝突が繰り返され、大学や研究機関も例外ではなかった。教育や研究を行うための施設や設備などが損壊し、機材物品なども破壊された。
 暴力的な状況にあったのは文革初期であるが、その後においても自己批判の強要とそれに係る暴力行為が長く続き、とても建物や校舎を修復して授業や研究を再開するという雰囲気にならなかった。

 清華大学を例にとって見ると、文革初めての紅衛兵組織が同大学の附属高校で設立されるなど同大学は文革の発端に深く関与しており、文革初期には武力衝突が度々発生した。なかでも、同大学の学生であった蒯大富かいだいふ率いる井崗山兵団の乱暴振りは凄まじいものであった。
 1968年、清華大学のキャンパスを舞台に行われた100日戦争と呼ばれる武力衝突の際には戦車も出動し、機関銃乱射から身を守るため建物の窓にはベニヤ板や布団が貼り付けられ、ロケットやピストルまで学内で内作された。戦闘の結果、18人が死亡、1,100人以上が負傷し、直接の経済損失は1,000万元を超えたという。清華大学ほど極端ではないにしても、他の大学や研究所でも同様の破壊が進められた。

参考資料

・ 百度HP 『无产阶级文化大革命