蔡元培(Yuanpei Cai、1868年~1940年)
蔡元培(1868年~1940年)は、中国の最高峰の大学である北京大学の基礎を築いた。中国の高等教育の歴史は、清朝末期から国民政府時代に始まっている。現在、北京大学や清華大学は世界のトップクラスに位置している。
鐘観光(Kuan Kwang Tsoong、1868年~1940年)
鐘観光(1868年~1940年)は、大学などの高等教育や外国への留学の経験がないが、清朝末から中華民国の時代に広大な中国で精力的に植物採集を行い、中国の近代植物学の礎を築いた。
伍連徳(Lien-teh Wu、1879年~1960年)
伍連徳(1879年~1960年)は、清朝末期に英国領マラヤに生まれ、満州で発生したペストと戦い、中国系で初めてノーベル賞候補に推薦された。
郭沫若(Moruo Guo、1892年~1978年)
郭沫若(1892年~1978年)は、中国の科学技術の総本山である中国科学院の初代院長である。郭沫若は、日本に留学し日本人女性と結婚したこと、日中国交回復に尽力したことなどから、日本との関係も深い。
周恩来(Enlai Zhou、1898年~1976年)
周恩来(1898年~1976年)は、中華人民共和国の偉大な政治家の一人であり、建国以来死去するまで国務院総理として外交を含めた中国全体の行政を取り仕切ったが、科学技術の振興にも偉大な足跡を残している。
聶栄臻(Rongzhen Nie、1899年~1992年)
聶栄臻(1899年~1992年)は、日中戦争や国共内戦時に軍人として活躍し、新中国建国後は政治家として科学技術の発展に尽力した。科学技術の関係では、両弾一星政策を実務的に指導し、中国の科学技術政策の礎を築いた。
鄧小平(Xiaoping Deng、1904年~1997年)
鄧小平(1904年~1997年)は、中国近代史の偉人の一人である。鄧小平は、中華人民共和国建国に貢献し、建国後は苦難の道を歩みながらも現在の経済発展の礎を築いた政治家であるが、科学技術・高等教育発展にも大きな貢献を残している。
秉志(Zhi Bing、1886年~1965年)
秉志は、清朝末期に生まれ、庚款留学生制度で米国のコーネル大学に留学し、帰国後は南京大学などで教鞭を取り、中国の近代動物学の基礎を築いた。
丁穎(Ying Ding、1888年~1964年)
丁穎は、日本に留学し第五高等学校や東京帝国大学で学んだ後、帰国してイネの品種改良を進め、新中国建国後は中国農業科学院の初代院長として近代農学の基礎を築いた。
李四光(Siguang Li、1889年~1971年)
李四光は、中国における地質学研究の基礎を築き、新中国となってからも国家の発展に必要な国内資源開発に貢献した。李四光は日本にも留学している。
周仁(Ren Zhou、1892年~1973年)
周仁は、冶金学者、セラミック学者であり、国民政府時代の中央研究院工程研究所の所長や、その後継機関である中国科学院冶金セラミックス研究所や冶金研究所などの所長を45年にわたって務めた。
陳建功(Jiangong Chen、1893年~1971年)
陳建功(陈建功)は、三度にわたり日本に留学し、東北帝国大学で外国人初めてとなる博士学位を取得し。その後中国に帰国して、後輩の蘇歩青と共に「陳蘇学派」を形成して母国の数学研究・教育に貢献した。
熊慶来(Qinglai Xiong、1893年~1969年)
熊慶来(熊庆来)は、フランスで数学を学んだ後帰国し、清華大学などで多くの数学者を育てた。華羅庚はその代表的な数学者である。
第13次五か年計画(2016〜2020年)
第13次五か年計画(正式名称「国家科学技術創新第13次五か年計画:十三五”国家科技创新规划(2016〜2020年)」)は、中国全体の五か年計画の個別分野計画として、初めて科学技術に加えて「創新=イノベーション」の文字を追加して2016年に公表された。
金善宝(Shanbao Jin、1895年~1997年)
金善宝は、米国のコーネル大学やミネソタ大学で学んで帰国し、中国の小麦の品種改良に貢献して「小麦大王」と呼ばれた農学者である。
茅以升(Yisheng Mao、1896年~1989年)
茅以升は、米国留学後に帰国して橋梁工学の基礎を築き、中国の現代橋梁の父と呼ばれた技術者である。茅以升は、中国国内の著名な橋梁建設の指揮を執るとともに、人民大会堂の建設設計にも携わっている。