はじめに

 趙東元 (赵东元、Dongyuan Zhao、1963年~)は、吉林大学で博士号を取得の後、イスラエルや米国でポスドク研究を行い、復旦大学の教授となった。復旦大学で機能性メソポーラス材料の研究で成果を挙げ、2020年に国家自然科学賞一等賞の筆頭受賞者となった。

趙東元の写真
趙東元 同氏のHPより引用

生い立ち

 趙東元 (赵东元、Dongyuan Zhao) は、1963年に中国東北部にある遼寧省瀋陽市で、普通の労働者の家庭に生まれた。両親とも働いており、趙東元は男3人女2人兄弟の末っ子であった。

 幼い頃の記憶として、父が大事にしていた大きなからくり時計に興味を持ち、からくりの不思議を知りたくて解体したところ元に戻せなくなってしまった。父はこれを見つけたが、叱責しなかった。後で考えると、このからくり時計の原理を知りたいと思ったのが趙東元の科学への関心の原点であり、父が叱責しなかったことに深く感謝していると言う。

化学に興味を持ち、吉林大学へ

 趙東元が13歳になった1976年末に文化大革命が終了し、義務教育を含めた学校教育が正常化された。趙東元が、中学生の頃に最も好きであった学科は化学であったが、その理由は化学では実験でカラフルな変化がみられることであった。また、中学校3年生のテストの前に、たまたま実家に帰省していた兄から指導を受けた結果、満点を取ることが出来たことも大きな励みになった。

 大学は東北地方の名門校である吉林大学化学科を目指した。化学科を目指したのは、化学が好きだったことに加え、化学が物質を変化させたり造り出したりする中心的な科学と考えたこと、化学が国家の基幹産業を支えていると思ったこと、などが理由であった。
 大学共通入試「高考」では、中国語の成績が余り良くなかったが、化学と数学が地域トップ(状元)であったため、無事第一志望の吉林大学化学科に入学できた。

 趙東元は、吉林大学で化学の基礎をしっかり学び、1984年に学部を卒業した。引き続き吉林大学の大学院に進学して、1987年に修士学位を、1990年に博士の学位を取得した。

地元大学の教員となった後、外国へ留学

 博士学位を取得した趙東元は、郷里瀋陽にある瀋陽化工学院の講師に採用され、翌1991年に副教授に昇進した。翌1992年には同学院から、カナダ・レジャイナ大学(University of Regina)に客員研究員として派遣された。

 趙東元は、1993年に瀋陽化工学院を辞任し、イスラエルのワイツマン科学研究所(Weizmann Institute of Science)のポスドク研究員となった。1995年には米国に渡り、ヒューストン大学のポスドク研究員、翌1996年にはカリフォルニア大学サンタバーバラ校のポスドク研究員となった。

 このように趙東元は、いくつかの国でポスドク研究員として働いたが、その教訓としてまず挙げているのは語学(=英語)の重要性である。英語ができないと、議論やコミュニケーションができないことを身をもって知った。これに対処するには、地道にスキルアップを図るしかないと考えた。
 もう一つの教訓は、自分の強み・弱点を知ることであった。イスラエルの同僚達は化学を専攻していても数学の能力に長じており、紙とペンだけで重要な推論を行うことができる。趙東元は、自分が受けてきた中国の教育システムでは欧米諸国と比べて数学が弱いと実感し、彼らと競争するには別の方法が必要と考えた。そこで思いついたのは化学合成など実験である。化学合成、特に無機合成は、自分も含めて中国人研究者の得意分野であり、この強みを活かすしかないと気づいたのである。

帰国し、復旦大学教授に

 米国でポスドク研究員をしていた趙東元は、ある国際会議で中国人女性研究者で復旦大学教授であった李全芝と話す機会を持った。趙東元が李全芝に、中国に帰る場合に良いポストがないかと聞くと、彼女は自分のいる上海の復旦大学に来なさいと言ってくれた。

復旦大学へ招聘してくれた李全芝との写真
李全芝(左から二人目)と趙東元(左)文匯HPより引用

 李全芝(Quanzhi Li)は、1932年生まれで、1953年に山東大学化学科を卒業して北京大学に移り、その後1957年から復旦大学に勤務して、1988年から復旦大学化学科の教授となっていた。専門は複合分子合成であった。

 趙東元は、当時すでに米国でのグリーンカード取得申請が可能となっていたが、このグリーンカードを取ると帰国後に困難に遭遇した際に再び米国に戻るかどうか迷う材料となると考え、申請を放棄した。帰国後、研究室の立ち上げや日常生活で苦労したが、この覚悟が重要だった。

 趙東元は帰国して3年目の2000年に、国家傑出青年科学基金から研究助成を受けることに成功した。
 国家傑出青年科学基金は、国内における若い科学技術人材の育成と在外研究者の帰国促進を目的として、1994年に当時の国務院総理・李鵬により創設された基金であり、管理運用は国家自然科学基金委員会(NSFC)が実施した。この資金からの研究費助成の対象は中国国籍を持つ45歳以下の者であり、博士号取得者又は助教授以上のポストにあって国内外で認められた成果を挙げた者などを選考し、助成期間は4年間であった。

メソポーラス材料の研究で成果

 米国から帰国した趙東元が取り組んだテーマは、機能性メソポーラス材料の開発である。

 メソポーラス材料とは細孔直径が 2 ~ 50 ナノメートルの多孔質材料であり、機能性メソポーラス材料とは特定の機能を持たせるために修飾されたメソポーラス材料である。 20世紀に開発された全く新しい材料系であり、サイズが調整可能な細孔構造、高い比表面積、大きな吸着容量を有していて、高分子触媒、吸着・分離、ナノ触媒などでの利用が期待されている。

 このメソポーラス材料は、2000年頃まで無機材料に限られていたが、趙東元は有機高分子材料でメソポーラス材料を作り、柔らかく、軽く、使いやすく、高価値の材料にできないだろうかと考えた。そして、何度も失敗をくり返した後、2005年に有機-無機自己集合をベースにした有機-有機自己集合というアイデアにより、新しいメソポーラス材料の作成に成功した。

国家自然科学賞一等賞の受賞

 趙東元は、復旦大学のスタッフ3名と共に、2020年度の国家自然科学賞一等賞を筆頭受賞者として受賞した。受賞理由は、「秩序化メソポーラス高分子及び炭素材料の製造及び応用(有序介孔高分子和碳材料的创制和应用)」の研究であった。

国家自然科学一等賞を受賞する趙東元らの写真
趙東元(右から二人目)と復旦大学のスタッフ 上観HPより引用

 参考資料

・復旦大学化学系HP 赵东元 https://chemistry.fudan.edu.cn/9d/fb/c21888a237051/page.htm
・上観HP 赵东元院士:搞科研不是“人海战术”就能取得突破的
https://export.shobserver.com/baijiahao/html/687136.html
・文匯HP 上海科学家时隔18年后再获国家自然科学奖一等奖!复旦大学赵东元:“拍脑袋灵感”,助他推开材料新世界的门 https://wenhui.whb.cn/zhuzhan/kjwz/20211103/431856.html
・科学技術部HP 2020年度国家自然科学奖获奖项目目录 https://www.most.gov.cn/ztzl/gjkxjsjldh/jldh2020/jlgb/202110/t20211029_177639.html