「科学技術工作についての諸問題」の公表(1975年)

 科学技術工作についての諸問題は、文革末期に鄧小平により中国科学院に送り込まれた胡耀邦が、同院の立て直しを目指して作成した政策文書である。しかし、四人組の妨害で実現は文革終了後になった。

作成経緯

 林彪のクーデターが失敗した後、1973年には鄧小平が国務院副首相として復活した。1975年初頭、周恩来首相の病状が悪化し、鄧小平副首相が共産党や国務院の日常的業務を実質的に指揮することになった。
 鄧副首相は人民解放軍の整理から着手し、整理対象を科学技術や教育に拡げていった。同年7月、鄧副首相は胡耀邦を中国科学院に送り込み、同院への指導を強化した。

 胡耀邦は、下放などから職場復帰しつつあった中国科学院の幹部と協議し、1975年8月に「科学技術工作についての諸問題:关于科学技术工作的几个问题」を中国共産党中央と国務院に提出した。

具体的な内容

 科学技術工作についての諸問題では、科学研究について次の点を強調した。

・科学技術活動には強い政治的リーダーシップとともに、実務上の的確で具体的なリーダーシップが必要である。
科学技術は生産力であり、科学研究を経済活動の先頭に立たせるべきである。
・科学研究も社会実践であり、下放などの生産労働によって代替することはできない。
・外国に対する崇拝や盲目的な模倣には反対するが、国際協力は重要である。
・経済活動についての応用や実践も重要であるが、科学の理論や基礎研究も軽視すべきではない。・自然科学の学術的問題に関する論争は、学術討論や科学研究によって解決されるものであり、行政命令によって特定の学派を支持したり抑えこんだりしてはならない。

 その後、鄧小平が開催した国務院会議で概ね了承されたが、四人組を中心とした革命派に妨害され、文革中この文書の考え方が実施されることはなかった。

参考資料

・胡耀邦史料信息网HP 『浩气长存——改革岁月中的胡耀邦(1975)』