はじめに

 周倹民(周俭民、1964年~)中国科学院遺伝・発生生物学研究所研究員は、植物の対病原性研究で成果を挙げ、2023年に未来科学大賞生命科学賞を、共同研究者の柴継傑とともに受賞した。

周倹民の写真
周倹民 遺伝・発生生物学研究所HPより引用

生い立ちと教育

 周倹民(周俭民、Jianmin Zhou)は、1964年に西部の四川省成都に生まれた。父親は江蘇省無錫出身で、南京地質学校を経て成都地質学院(現在の成都理工大学)を卒業して、四川省の地質局に勤務する技師であった。

 周倹民が生まれた2年後に、文化大革命が始まった。父親は学生時代から共産党に入党した古参党員であったが、文革の主義主張への対応には極めて慎重な姿勢を取って、批判の対象となることや下放されることを免れた。周倹民の記憶では、文革が暴虐を極めた時期には、父の学生時代の友人が自宅に居候していたこともあったという。

 周倹民が12歳となった1976年末に、文革が終了し教育も正常な状態になった。周倹民は高校の進学に際して、二つの選択肢を考えた。一つは、工業高校(職業中学の一つ)に進学しできるだけ早く社会で働くこと、もう一つは普通高校(高級中学)に行き将来的に大学を目指すことである。周倹民は、この時点ではそれほど勉強が得意ではなかったので、工業高校への入学を決めた。ところが、出張から帰った父は激怒し、自ら手配して周倹民を成都市内の普通高校へ入学させた。

 周倹民は、この普通高校で優れた生物学の先生から学び、従来持っていた花や昆虫を分類して研究するといった生物学のイメージを根底から変え、分子生物学など近代的な生物学の研究に憧れた。大学進学については、父は地元の名門大学・四川大学の物理学科を薦めたが、周倹民は生物学科への進学を主張した。父はこの選択について寛容であり、異議を唱えなかった。 

米国に留学

 周倹民は1984年に、四川大学生物学科を卒業し、北京にある中国科学院遺伝学研究所(現在の遺伝・発生生物学研究所)に大学院生として入所した。

 周倹民は遺伝研究所から修士学位を取得し、その後1989年に米国に留学した。米国では、インディアナ州にあるパデュー大学に入学し、植物分子科学を専攻した。

 修士号を持つ周倹民であったが、米国と当時の中国の学術レベルの差を痛感する。また、長い間学んだ英語についてもほとんど役に立たないことが分かった。まさに「ゼロからのスタート」であった。一方で、成績が悪いと奨学金の打ち切りとなるため、周倹民は必死で勉学に励んだ。

 周倹民は1994年に、パデュー大学大学から博士学位を取得し、同大学のグレゴリー・マーティン教授の下でポスドク研究を行った。マーティン教授は、世界で初めてフロール病耐性遺伝子クローンを作成した新進気鋭の学者であった。

 マーティン教授の下で3年間ポスドク研究を行った後、1997年にカンザス州立大学植物病理学研究室の助教授(Assistant Professor)となり、さらに2002年からは准教授(Associate Professor)に就任した。

北京生命科学研究所へ

 周倹民は2004年に、北京生命科学研究所(National Institute of Biological Sciences,Beijing)のPIとなった。
 北京生命科学研究所は、北京市人民政府が中心となり、米国流のPI制度を導入し、世界トップクラスの研究成果を目指すものとして、2003年に新設された。比較的小規模な研究所であるが、所長はシャオドン・ワン(王暁東)元テキサス大学教授、副所長は邵峰 (Feng Shao)といずれも著名な研究者である。

植物の対病原性研究

 周倹民は、同じ時期に米国から帰国し北京生命化学研究のPIとなったと柴継傑と出会い、その後現在まで共同研究を続け多くの研究成果を挙げることになった。 

柴継傑と共同研究者周倹民の写真
周倹民(前列左)と共同研究者・柴継傑(前列右) 西湖大学HPより引用

 周倹民は、柴継傑と共に植物の対病原性研究に取り組んだ。彼らは、植物の持つ自己免疫、つまり植物が本来的に持っていて対病原性を有するタンパク質に着目し、このタンパク質がどのような機序で対病原性を発揮するかを研究した。

 周倹民らは実験を積み重ね、「おとりモデル」と彼らが呼んだタンパク質の作用機序の学説を作り上げ、2007年に専門誌に発表したが、この学説は当時の学会の主流であったものと大きく違っていたため、当時の学会の反応は極めて冷淡なものであった。
 周倹民らは、学会の反応に大きな不満を持ち、また落胆を覚えたが、一つの研究結果だけでは通用せず一連の結果を受けて学説が変わると自らを励ましつつ、実験を続行した。

 研究進捗の鍵は、以外にも植物関連ではなく昆虫細胞を用いることであった。彼らは昆虫細胞を使用して、植物対病原性タンパク質を発現させることに成功した。これにより、植物細胞での作用機序がより強くなり、研究が大きく進展した。

 周倹民らは、植物受容体キナーゼのリガンド認識と活性化に関する構造的考察と題する論文を学会誌に発表した。その後も研究は続き、対病原性タンパク質の様々な状態について明確化するとともに、カルシウムイオンチャンネルとの関係などについて次々と論文を発表した。

未来科学大賞を受賞

 周倹民と柴継傑は、2023年に未来科学大賞生命科学賞を共同で受賞した。受賞理由は、「植物の病気や害虫に抵抗する対病原体の発見と、その機構・機序の解明において、先駆的な研究を行い、植物自然免疫の改名に先駆的な貢献を行った」というものである。

周倹民の未来科学大賞受賞写真
周倹民・未来科学大賞受賞 澎湃新聞HPより引用

 未来科学大賞は、香港を拠点とする未来科学賞財団が中国における優れた業績を表彰することを目的として2016年に創設した賞であり、生命科学、物質科学、数学・計算機科学の3分野である。

遺伝・発生生物学研究所に戻る

 周倹民は2012年に、北京生命科学研究所から、かつて修士課程を学んだ中国科学院遺伝・発生生物学研究所に転勤した。ただ、柴継傑と協力して、植物の対病原性を研究することには変化がなかった。

 周倹民は、現在でも遺伝・発生生物学研究所の主任研究員として植物免疫の研究を行っている。 

参考資料

・遗传与发育生物学研究所HP 研究队伍 周俭民 https://genetics.cas.cn/sourcedb/zw/zjrc/201202/t20120227_3446231.html
・林编辑论文咨询  未来科学大奖得主周俭民:一个“普通人”,坚持做自己喜欢的事
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1780054672229858448&wfr=spider&for=pc
・澎湃新聞HP 2023未来科学大奖揭晓:柴继杰、周俭民获生命科学奖
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1774351897127957380&wfr=spider&for=pc