はじめに
ドリス・ツァオ(Doris Ying Tsao、曹颖、1975年~)カリフォルニア大学バークレー校教授は、マカクザルを使った脳と視覚についての研究で成果を挙げた、中国生まれの米国人女性科学者である。

生い立ちと教育
ドリス・ツァオは1975年に、中国江蘇省常州市に生まれた。常州市は、上海の西北西約100キロメートルのところにあり、さらに約100キロメートル西に南京市がある。
ツァオの両親は知識人であり、父は数学者、母はコンピュータプログラマーであった。父は、1966年に始まった文化大革命の影響を受けて下放し、旧満州地方で一日中木の伐採労働に従事した。
ツァオが4歳となった1980年に、両親が米国メリーランド州カレッジパークにあるメリーランド大学に大学院生として留学することとなり、彼女も両親に連れられて米国に移住した。
ツァオの小さいころ、両親は大学院生で勉強に忙しく、また貧しかったのでベビーシッターを雇うお金がなかったため、毎朝車で図書館に連れていかれた。そこで米国赤十字の創始者で看護師のパイオニアであるクララ・バートン(Clarissa Harlowe Barton、1821年~1912年)や作曲家のモーツァルトなどの伝記を読んで、一日を過ごした。
カリフォルニア工科大学に入学
ツァオが高校生のころ、父親がたまたまカリフォルニアに友人と旅行し、カリフォルニア工科大学を訪問した時の話を聞いて、同大学に入学したいと思うようになった。
ツァオは、希望どおりにカリフォルニア工科大学に入学したが、入学当初は授業についていけるか不安であったため、図書館で勉強することにしたが、そこでファインマンの物理学の教科書と、カントの「純粋理性批判」に出会った。これらの内容を完全に理解したわけではなかったが、魅了され、これがその後の研究生活に反映されていったという。
ツァオは入学して3年後の1996年に、生物学と数学の学士(BS)を取得した。
マーガレット・リビングストンに師事
ドリス・ツァオはその後、ハーバード大学のメディカルスクールに入学して、マーガレット・リビングストン(Margaret Livingstone)教授に師事した。リビングストン教授は、1950年にバージニアで生まれた女性神経生物学者である。

ツァオは、2004年にフンボルト賞を受賞し、ドイツのブレーメン大学で研究する機会を得た。
フンボルト賞とはアレキサンダー・フォン・フンボルト財団が授与する賞であり、このフンボルト賞を受賞した研究者はドイツに招聘され、ドイツ国内での研究が助成される。
ツァオは2009年に米国に帰り、カリフォルニア工科大学の准教授となった。2015年には教授に昇進している。
ツァオは2014年に、ハワード・ヒューズ医学研究所研究員を兼任した。同研究所は、米国の実業家ハワード・ヒューズによって1953年に設立された非営利の医学研究機関である。同研究所のInvestigator Programは、トップクラスの研究者に対し、大学等に在籍のまま同研究所の研究員として雇用し、最低5年間にわたり研究資金を提供する。
なお、中国系の科学者・銭沢南(Robert Tjian)は、2009年にハワード・ヒューズ医学研究所の理事長(President)に就任し、2016年までその地位にあった。
顔認識と神経の研究で成果
ドリス・ツァオは、ハーバード大学博士課程の学生として研究を始めて以来、脳と視覚の研究を行っている。初めに行ったのは、マカクザルを用いた単一ユニット電気生理学的記録による立体視研究である。
その後、ヒトの脳領域の活動を画像化するために使用されるfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて、マカクの脳領域を画像化する研究を行った。そして、ヒトの脳で確認されている紡錘状の顔認識領域に類似する、マカク顔パッチシステムと呼ばれる一連の小さな脳領域を、マカクザルの脳で発見した。
さらにツァオは2017年に、脳がどのように顔を認識するのかを解読し、マカクザルの顔選択性ニューロンの活動から正確に再構築できるようになった。
数々の研究賞に輝く
ドリス・ツァオは2018年に、マッカーサー財団のマッカーサー・フェロー(天才賞とも呼ばれる)に選出された。同賞は、分野を問わず優れた創造性を発揮し実績と将来性を併せ持つ研究者を毎年20~30人選び、研究助成金を支給するもので、米国の富豪で生命保険会社などを経営していたマッカーサー(John D. MacArthur)夫妻の遺産により設立された財団が授与している。
ツァオは2024年に、カブリ賞神経科学部門を受賞した。カブリ賞(Kavli Prize)は、ノルウェー教育研究省、ノルウェー科学文学アカデミー、米国カブリ財団によって設置された賞であり、2008年以降隔年毎に宇宙物理学、ナノサイエンスおよび神経科学の3部門で授与されている。
ツァオは2024年に、ハーバード大学時代の恩師であるリビングストンなどとともに、ローゼンスティール賞を受賞した。
同賞は、基礎医学の発展に対する成果に対して、ブランダイス大学より授与される賞であり、日本からは山中伸弥と大隅良典両博士らが、中国系科学者からはロジャー・チェン(Roger Tsien)、銭沢南(Robert Tjian)が受賞している。
ドリス・ツァオは、2021年にカリフォルニア大学バークレー校に移り、現在も神経科学の研究を続けている。
参考資料
・Tsaolab HP https://www.tsaolab.caltech.edu/dortsao/
・Kavli Prize HP Doris Ying Tsao
https://www.kavliprize.org/bio/doris-tsao
https://www.kavliprize.org/doris-tsao-autobiography
・ブランダイス大学HP 54th Rosenstiel Award for Basic Medical Research announced https://www.brandeis.edu/stories/2024/october/of-note/rosenstiel-2024.html