中関村ハイテクパークの設置(1988年)
中関村ハイテクパークは、国務院が1988年に国家ハイテク産業開発政策の一環として、ハイテク企業の誘致と育成を図るため北京市海淀区に設置した。
1988年に国務院は国家ハイテク産業開発区政策の一環として、北京の有名大学や中国科学院の研究所が密集する海淀区中関村で、ハイテク企業の誘致と育成を図るため「北京新技術産業開発区(中関村ハイテクパーク)暫行条例」を施行した。
中関村は北京市中心部から少し離れた北西部に位置し、元々電子部品街が存在した。また、北京大学、清華大学、北京理工大学、北京師範大学などの有名大学や、中国科学院の中国科学院電子学研究所、中国科学院計算技術研究所、中国科学院半導体研究所、中国科学院ソフトウェア研究所などが集積している。
中間村の父・陳春先
この中関村を、単なる電気街や大学と研究所の街から中国のシリコンバレーと呼ばれるハイテクパークに変身させたのは、中国科学院物理研究所の一研究者であった陳春先であり、「中関村の父」とも呼ばれている。
陳春先は文化大革命終了後の1978年から三度にわたって米国を訪問し、米国のシリコンバレーに触発され、1980年10月に中関村に中国のシリコンバレーを建設すべきであるとして、自ら物理研究所内に「先進技術サービス部」を設立し、技術の実用化支援などの実験的な試みを開始した。1983年、中国共産党中央がこの陳春先の実験を支持したことよって陳春先の実験的な試みは促進され、さらに1988年の国家ハイテク産業開発区設置政策の一環で前記条例が施行されることにより、中関村の振興は国の正式な政策となった。
2004年に陳春先は亡くなったが、彼の死後も中関村は発展を続けている。中国有数の大学や研究所との協力関係の構築や優秀な人材の獲得のため、IBM、マイクロソフト、インテル、モトローラ、パナソニック、富士通、NTTデータなど、欧米や日本の企業の出先がこの中関村の近隣に置かれている。
また、これらの大学、研究所、外資系企業などからスピンオフした研究者が創設した技術系民間企業が集積しており、ネットカフェが並ぶ長さ200メートルほどの「創業通り」が政府の旗振りで生まれ、生まれたばかりの会社のオフィスや、起業したい人向けの手続きサービスを支援する機関や、ベンチャー投資を行う機関の出張所が軒を連ねている。
参考資料
・中関村HP http://zgcgw.beijing.gov.cn/zgc/index/index.html
・百度HP 「陈春先」