はじめに

 華中科技大学同済医学院 (Tongji Medical College of HUST) は、湖北省武漢市にあって、歴史と実績を有する医学高等教育機関である。

 元々は上海にあったが、新中国建国後の大陸中西部における医療事情を考慮して、湖北省武漢に移転した。

 2000年に華中理工大学などと合併し、華中科技大学同済医学院となった。

華中科技大学同済医学院の写真
華中科技大学同済医学院  同医学院HPより引用

1. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 華中科技大学同済医学院  略称 同済医学院
・中国語表記 华中科技大学同济医学院  略称 同济医学院 
・英語表記  Tongji Medical College of HUST  略称 TJMU 

 「同済」は、ドイツ(Deutsh)を上海語の音表記で示したものであり、また兵法書・孫子にある「同舟共済」にも由来する。「同舟共済」は、「呉人と越人は互いに憎みあっていても、同じ舟で済(わた)っていて風に遇えば左右の手のように助け合う」との意味で、同じ課題を持つ者同士として協力することを示したものである。日本語では、同じ孫子から引用した「呉越同舟」がそれに近い。 

(2)所管

 同済医学院は、湖北省武漢市にある華中科技大学の所管である。

 華中科技大学は2000年に、同済医学院の前身である同済医科大学、華中理工大学、武漢都市建設学院の3つの大学が合併して設立された、比較的新しい大学である。

2. 本部の所在地

 同済医学院の本部は、湖北省武漢市礄口区航空路13号にある。華中科技大学の本部は武漢市洪山区(武昌地区)にあり、同済医学院は旧漢口地区にあって、双方は離れている。

3. 沿革

(1)母体は徳文医学堂

 同済医学院は、1907年にドイツと中国が上海に設立した上海德文医学堂が源である。この上海徳文医学堂の設立には、ドイツ人医師エーリッヒ・パウルンが大きな貢献をしている。

同済医学院内にあるパウルンの像
同済医学院内にあるパウルンの像 同医学院のHPより引用

 エーリッヒ・パウルン(Erich Hermann Paulun、埃里希·宝隆)は、1862年にドイツで生まれ、ベルリンで医学教育を受けた後、1888年にドイツ海軍の軍医となった。東アジア海域の砲艦で勤務の後、上海のドイツ領事館付きの医師となった。
 パウルンは、ドイツに戻って外科技術の向上なとを目的としてドイツの病院で研修を受けた後、再び上海に戻って1900年に上海のドイツ租界近くに自らの診療所を開いた。これが中国の主要医院の一つである武漢同済医院の始まりである。
 パウルンはその後1907年に、中国の医療事情を抜本的に改善するためには中国人医師の養成が急務と考え、ドイツ政府、中国政府、さらには他のドイツ人医師仲間の協力を得て、上海同済徳文医学堂を上海に設置した。パウルンは同医学堂の初代校長となっている。

 設立時には医学とドイツ語を教えた。1908年、同済德文医学堂と改称した。1912年には工科を設置し同済医工学堂と改称した。

 第一次世界大戦でのドイツ敗北によりドイツの関与はなくなったが、中国政府は同学堂を存続させることとし、1917年に私立同済医工専門学校と改称した。

(2)同済大学医学院

 私立同済医工専門学校は1924年に、同済医工大学と改名し、同大学に医科と工科を設置した。
 3年後の1927年には国立同済大学と改名し、医・工両科は、それぞれ医学院と工学院となった。さらに1937年には、文学院、理学院、法学院を設置し、同済大学は総合大学になった。

 1937年に日中戦争が勃発し、上海も日本軍に占領されたため、同済大学も西部への疎開を余儀なくされ、1940年に四川省に拠点をおいて教学を続けた。第二次世界大戦終了後、日本軍が敗戦で上海から撤退し、翌1946年に同済大学は上海に戻った。

(3)新中国建国後の医療事情により武漢に移転

 新中国建国後の1950年に、中国の中部南部地区にある湖南省、湖北省、広東省、広西省、河南省、江西省の医療・健康サービスを支援すべきとの中央政府の方針に従い、同済大学医学院は同済大学本体と分離して湖北省武漢市に移転し、元々武漢市内にあった武漢大学医学院と合併し、中南同済医学院と改称することが決定された。
 この移転は医学院に附属する医院の移転も含まれており、職員や施設・設備の移転を伴う大々的なものであったため、移転の終了には長期間を要した。具体的には、現在の武漢同済医院は1955年5月に上海から武漢への移転を終了している。

 その後、1955年に武漢医学院に、さらに1985年には同済医科大学と改称した。

(4)華中科技大学同済医学院

 同済医科大学は2000年に、華中理工大学、武漢都市建設学院と合併し、華中科技大学同済医学院となった。

4. 規模

(1)学生数、教職員数

 同済医学院のHPによれば、同医学院の学生数は、学部学生が4,600人、大学院生が6,000人であり、このうちに留学生500人が含まれる。

 また、教職員数は、専任教師が400人、臨床教師が3,500人であり、その中で高度専門職員は1,600人に達する。

(2)学院と学科

 日本の学部に当たる学院は、基礎医学院、医薬衛生管理学院、公共衛生学院、法医学系、看護学院、薬学院である。

 学科は、基礎医学、医学実験技術、衛生事業管理(公共事業管理)、医学情報学(情報管理・情報システム)、予防医学、法医学、看護学、薬学、臨床医学、医療映像学、医学検査技術、口腔医学、中西医臨床医学、小児科学などである。

(3)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、同済医学院は全体で以下の3学科が選定されている。
○基礎医学
○臨床医学
○公衆衛生・予防医学

(4)附属医院等

 同済医学院は、2022年現在で3つの直属医院、7つの非直属医院がある。

○直属医院
附属協和医院(附属协和医院、略称:武漢協和医院)
附属同済医院(附属同济医院、略称:武漢同済医院)
・附属梨園医院(附属梨园医院)

○非直属医院
・附属武漢中西医結合医院(附属武汉中西医结合医院)
・附属武漢中心医院(附属武汉中心医院)
・附属武漢小児医院(附属武汉儿童医院)
・附属湖北腫瘍医院(附属湖北肿瘤医院)
・附属武漢普愛医院(附属武汉普爱医院)
・附属武漢精神衛生センター(附属武汉精神卫生中心)
・附属湖北母子保健院(附属湖北妇幼保健院)

(5)国家重点実験室など

 同済医学院は、次の国家的な施設を有している。
○国家産婦人科臨床医学研究中心(国家妇产疾病临床医学研究中心、同済医院)

5.特記事項

 同済医学院は、既に述べたとおり現在3つの直属医院、7つの非直属医院を有している。これらの附属病院には、中国全体から見てレベルの高い医院が、いくつか存在する。

 復旦大学の医院管理研究所が公表した「中国医院2022年度全国综合排行榜」によれば、上位100か所の医院の中に、同済医学院の附属医院は、次の通り2か所ある。

附属同済医院(略称:武漢同済医院、附属同济医院) ランキングで第6位

武漢同済医院の写真
附属同済医院 百度HPより引用

附属協和医院(略称:武漢協和医院、附属协和医院) ランキングで第9位

武漢協和医院の写真
附属協和医院 百度HPより引用

参考資料

・華中科技大学同済医学院HP http://www.tjmu.edu.cn/
・華中科技大学HP https://china-science.com/huazhong-univ/
・中国医院及专科声誉排行榜 https://rank.cn-healthcare.com/fudan/national-general