はじめに
空天院(空天信息创新研究院:宇宙航空情報イノベーション研究院)は、北京市に本部を持つ中国科学院の附属研究機関である。
電波、電子などの基礎的な研究から、衛星や航空機を用いたリモートセンシング技術などの、幅広い分野での研究開発を行っている。
既存の3つの研究機関を統合し、2019年に出来た比較的新しい機関である。
規模、研究開発力、研究成果などで、中国科学院内でトップレベルとなっている。
1. 名称
○中国語表記:空天信息创新研究院 略称 空天院
○日本語表記:宇宙航空情報イノベーション研究院 以下「空天院」と略す
○英語表記:Aerospace Information Research Institute 略称 AIR
2. 所在地
空天院本部の所在地は、北京市海淀区鄧庄南路(邓庄南路)9号である。海淀区には、中関村、北京大学や清華大学、頤和園や円明園などがあるが、この空天院の本部のある場所は、これらから約10キロメートルほど北に位置している。
ただし、後の沿革で述べるように、空天院は3つの研究機関が合併してできたことから、本部以外に計9か所の分所(園区)を有している。
3. 沿革
空天院は2019年に、中国科学院傘下の3つの研究所、具体的には電子学研究所、リモートセンシング・デジタル地球研究所、光電研究院、が合併して成立した研究機関である。
(1)電子学研究所
国務院は1956年に、社会主義的工業化を加速するため科学技術に関する新たな中期計画として、「科学技術発展遠景計画綱要:科学技术发展远景规划纲要(1956年~1967年)(略称:遠景計画)」を公表した。この中に重点的な推進事項として電波電子技術が取り上げられたことから、中国科学院はその傘下に電子学研究所を設立するべく準備作業を開始し、1960年に正式に発足させた。
電子学研究所は発足当初、音響学、電子回路、アンテナ・電波、量子エレクトロニクス、固体物理などの研究を進めた。
その後、世界の電子工学の進展に伴い、空エレクトロニクスとガスレーザー、通信・電子システム、信号・情報処理、電磁マイクロ波、物理エレクトロニクス・オプトエレクトロニクスなどの分野を研究領域に加えていった。
(2)リモートセンシング・デジタル地球研究所
中国科学院は1979 年に、リモートセンシング応用研究所(遥感应用研究所)を設立し、赤外線やレーダによるリモートセンシングに関する基礎理論研究を行うとともに、農作物収量推定、鉱物探査、環境・災害監視などのを実施した。
1985 年には、航空リモート・センシング センター(航空遥感中心)を設置し、2 機の航空機を用いて、リモートセンシング科学実験、機器の校正、大規模な自然災害への対応などの研究を行うこととした。
1986 年には、中国リモートセンシング衛星地上局(中国遥感卫星地面站)を建設し、10 機以上の衛星からデータを受信し、土地資源、農業開発、生態環境、都市に関するデータを提供することとした。
2012年には、中国科学院はリモートセンシング応用研究所の組織再編を行い、名称をリモートセンシング・デジタル地球研究所(遥感与数字地球研究所)とした。
(3)光電研究院
中国科学院は2003年に、光電子工学、航空宇宙および航空、応用科学技術の分野の研究を促進するため、傘下に光電研究院を設置した。場所は、北京市海淀区邓庄南路9号である。
(4)3機関の統合により空天院へ
中国科学院は2019年に、電子研究所、リモートセンシング・デジタル地球研究所、光電研究院を統合し、新たに「宇宙航空情報イノベーション研究院~空天院」を発足させた。
4. 組織の概要
(1)研究分野
電波、電子などの基礎的な研究から、衛星や航空機を用いたリモートセンシング技術などの、幅広い分野での研究開発を行っている。
(2)研究組織
①国家級の研究室・実験室
・リモートセンシング科学国家重点実験室(遥感科学国家重点实验室) 後述する
・リモートセンシング衛星応用国家工学実験室(遥感卫星应用国家工程实验室)
・国家リモートセンシング応用光学技術研究センター(国家遥感应用工程技术研究中心)
・マイクロ波イメージング技術国家級重点実験室(微波成像技术国家级重点实验室)
②中国科学院級研究室・実験室
・中国科学院電磁放射・検出技術重点研究室(中国科学院电磁辐射与探测技术重点实验室)
(3)研究所の幹部
研究所の幹部は、所長、中国共産党委員会(党委)書記、副所長、副書記である。大学などでは、党委書記の方が学長より強い権限を有しているが、中国科学院の付属研究所の場合には所長が最高責任者の場合が多い。
①呉一戎・院長
呉一戎(吴一戎)・空天院院長は、1963年に北京市で生まれ、1985年に北京理工大学で学士の学位を、1988年に同じく北京理工大学で修士の学位を取得し、中国科学院電子学研究所に入所した。電子学研究所では勤務の傍ら研究生として学位取得を目指し、2001年に博士学位を取得した。2003年に電子学研究所の副所長、2007年に同研究所所長となり、2019年の空天院発足と同時に同院の院長となった。専門はマイクロ波イメージング技術で、2007年に中国科学院の院士に当選している。
②蔡榕・党委書記兼副所長
蔡榕・党委書記は、空天院のナンバーツゥである。蔡榕は、1964年に福建省で生まれ、1986年に清華大学で学士の学位を、1989年に同済大学で修士の学位を取得した。以降中国科学院本部の弁公庁副主任や、山西煙灰研究所副所長、光電研究院副院長などを経て、2019年の空天院発足と同時に同院の党委書記となった。
5. 研究所の規模
3つの研究機関が統合されてできたものであり、規模は中国科学院の中で非常に大きな部類に属する。
(1)職員数
2021年現在の職員総数は2,080名で、中国科学院の中では第2位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。2,080名の内訳は、研究職員が1,439名(91%)、技術職員(中国語で工員)が96名(6%)、事務職員が42名(3%)である。
(2)予算
2021年予算額は49億0,088万元で、中国科学院の中では第8位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。19億0,088万元の内訳は、政府の交付金が6億5,421万元(34%)、NSFCや研究プロジェクト資金が5億6,361万元(30%)、技術収入が3億6,026万元(19%)、試作品製作収入が1億9,555万元(10%)、その他が1億2,725万元(7%)となっている。
(3)研究生
2021年現在の在所研究生総数は1,078名で、中国科学院の中では第9位に位置する(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。1,078名の内訳は、修士課程の学生が398名、博士課程の学生が680名である。
6. 研究開発力
(1)国家級実験室など
中国政府は、国内にある大学や研究所を世界レベルの研究室とする施策を講じている。この施策の中で最も重要と考えられる国家研究センターと国家重点実験室であり、中国科学院の多くの研究機関に設置されている(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。上記組織の項でも述べたが、空天院は1つの国家重点実験室を有している。
・リモートセンシング科学国家重点実験室(遥感科学国家重点实验室):空天院と北京師範大学の共同運営である。2003年に国の認可を受け、2005年から研究を開始した。リモートセンシング放射線伝達メカニズムと反転理論、リモートセンシング情報取得および処理のための最先端技術、地理空間情報の統合・応用の研究を行っている。
2021年現在で、正規研究員が108名、客員研究員が53名、研究生としてポスドク4名、博士学生80名、修士学生63名である。
(2)大型研究開発施設
中国科学院は、同院や他の研究機関の研究者の利用に供するため大型の研究開発施設を有している。大型共用施設は、専用研究施設、共用実験施設、公益科学技術施設の3つのカテゴリーがある(中国科学院内の設置状況詳細はこちら参照)。
空天院は、この大型共用施設・共用実験施設の中の公益科学技術施設(公益科技设施)として、次の3つを管轄している。
・中国リモートセンシング衛星地上局(中国遥感卫星地面站):中国リモートセンシング衛星地上局は北京本部を中心に、北京密雲局、新疆カシュガル局、海南三亜局、雲南麗江の5局でネットワークを形成している。地理空間情報の総合的統合・応用を任務としている。
・リモートセンシング用航空機(遥感飞机):空天院は、画像レーダやスキャナーなどを搭載したリモートセンシング用航空機を2機を所有し、運用している。航空機の名称は「奨状S/II(奖状S/II)」であり、最大航続距離3,300キロメートル、高度1万3,000メートル、離陸重量1.4トン、速度746キロメートルの性能を有している。
・航空リモートセンシングシステム(航空遥感系统):中国東北部の遼寧省営口市にあり、2つの国産MA60リモートセンシング航空機により、光学機器やマイクロ波機器を用いて複数の地球観測を実施している。
なお、公益科学技術施設とは、中国全体の経済社会の発展や安全確保を目的として種々の情報を収集し関係機関や一般社会に配布する施設を指しており、中国科学院は現在9つの施設を有している。
(3)NSFC面上項目獲得額
国家自然科学基金委員会(NSFC)の一般プログラム(面上項目、general program)は、日本の科研費に近く主として基礎研究分野に配分されており、中国の研究者にとって大変有用である。空天院のNSFCの獲得資金額は、それほど大きくなく、中国科学院の獲得額20位までに入っておらずランキング外である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
7. 研究成果
(1)Nature Index
科学雑誌のNatureは、自然科学系のトップランクの学術誌に掲載された論文を研究機関別にカウントしたNature Indexを公表している。Nature Index2022によれば、空天院は中国科学院の中で20位までに入っておらず、ランキング外である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
このNature Index に関し、中国の主要大学のそれと比べると高くない。中国の主要大学のNature Indexによるランキングは、こちらを参照されたい。
(2)SCI論文
上記のNature Indexはトップレベルの論文での比較であり、より多くの論文での比較も重要である。しかし、中国科学院は各研究所ごとの論文数比較を出来るだけ避け、中国科学院全体での比較を推奨している。このため、SCI論文などで研究所ごとの比較一覧はない。
ただ、研究所によっては自らがどの程度SCI論文を作成しているかを発表している。
空天院もその一つであり、同研究所HPによれば、2013 年から2022 年までに合計11,855 件のSCI論文を発表し、そのうち2,576件がScience、Nature、JACSなどの一流誌に掲載された。また、2022年までの5年間の年間SCI論文数とその引用数が下記のグラフで示されている。
なお、10年間で11,855 件という数字を中国の主要大学のそれと比較すると、清華大学、北京大学、上海交通大学などが同じ期間で、SCI論文を約100,000件前後発表している(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。したがって中国の主要大学と比較すると、それほど大きなものではない。
(3)特許出願数
2021年の空天院の特許出願数は件で、中国科学院内で第12位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
(4)成果の移転収入
2021年の空天院の研究成果の移転収入は中国科学院内で第9位までに入っておらず、ランキング外である(他の研究所との比較の詳細はこちら参照)。
(5)両院院士数
中国の研究者にとって、中国科学院の院士あるいは中国工程院の院士となることは生涯をかけての夢となっている。2024年2月時点で空天院に所属する両院の院士は6名であり、中国科学院内で第20位である(他の研究機関との比較の詳細はこちら参照)。
○中国科学院院士(5名):童庆禧、郭华东、吴一戎、相里斌、丁赤飚
○中国工程院院士(1名):王岩飞
8. 特記事項~国際協力拠点
空天院は、業務の関係上、多くの国際的な機関と連携している。具体的には、ユネスコ自然文化遺産国際宇宙技術センター(HIST)、国際デジタルアース協会(ISDE)、災害リスク総合研究(IRDR)国際プロジェクト、 CAS-TWAS Center of Excellence for Space Disaster Mitigation (SDIM)などである。
参考資料
・空天院HP http://www.aircas.cn/
・中国科学院統計年鑑2022 中国科学院発展企画局編
・中国科学院年鑑2022 中国科学院科学伝播局編