Excellent Points and Challenges of Universities in China

はじめに

 筆者は、かつて中国の大学の科学技術力の現状を調査するため、北京大学、清華大学、浙江大学、上海交通大学4大学の調査を行い、その調査結果を基に『中国主要四大学~圧倒的な人材パワーで世界トップレベルへ~』というタイトルの報告書を刊行した。報告書は科学技術振興機構のHPからダウンロードできる。

 その際、4大学の教員に対するインタビューを実施した。これらのインタビューを通して見えて来たのが中国の主要大学の特徴であり、以下に優れた点と課題と思われる点に分けて、箇条書き的に列記する。なおこれらは、筆者の個人的な感想を中心としたものであり、学問的な分析手法を用いた結論ではない。

1. 優れた点

(1)エネルギーと自信

 現在の中国のトップ大学に共通しているのは、各人がエネルギーと自信に満ちあふれていることである。中国の政界、官界、産業界など社会のあらゆる分野で見られる発展段階での輝きが、ここ大学でも見られる。また有力な教員は、概して羽振りが良い。産学連携が極めて活発で、大きな研究資金が自らの研究室に配分されるとともに、自ら起業したり役員に名を連ねたりしているからであろう。

 知識人にとって悪夢のような文化大革命が終了した後、鄧小平が開始した経済政策の成功による圧倒的な経済発展を経験してきたのが現在の教員の大半であり、これがエネルギーと自信につながっていると思われる。

 社会的には様々な矛盾が蓄積されつつあるという予感はするものの、大学のキャンパスで教育研究活動に励む限りにおいては、昨日より今日の方があらゆる面で発展しているのがわかり、また今日より明日の方がもっと良くなるという希望が持てる、これが現在の中国の大学だと思う。

(2)明確な目標

 急激な経済成長を受け、エネルギーと自信に溢れた中国の大学であるので、彼らの目指す目標は極めて明確である。中国トップ大学の目標は、自分たちの大学が米国のハーバード大学、MITや英国のケンブリッジ大学などの有力大学に引けを取らない、世界トップレベルになることである。もちろん、いくら経済が爆発的に発展したといっても、現時点で直ちにハーバード大学などに並ぶ大学になれるとは思っていないであろうが、中国人は我々日本人とは比較にならないほど長い時間感覚で考えており、数十年から百年の内で、欧米の主要な大学に追いつき追い越すということを念頭に改革の努力をしている。

 一つ気を付けなければならないのが、日本の大学に対する視線である。両大学の教員には日本に留学したか日本との関係を持っている教員が多いが、それにもかかわらず、彼らの視線は日本の大学にほとんど向いておらず、米国の大学、あるいは欧州の大学を念頭にトップレベルに近づきたいと明確に考えている。

(3)フレキシビリティ

 中国の大学教員をインタビューした際に、筆者の印象に強く残ったのが、中国の大学が持つ融通無碍なフレキシビリティである。中国は共産党の一党支配であり、政治体制ではリジッドな構造を有しているため、大学における管理運営も統制が取れており極めて制約的であろうと想像したが、現実は全く違っていた。大学の設置運営に関し大枠の構造的、法的な縛りがあるものの、自分が属する大学を世界一にするためには良いと思うことは自由にやりたいようにやりなさい、そして結果を出しなさいといった自由奔放さを非常に強く感じた。日本の大学であれば、すぐ学科全体、学部全体さらには大学全体の意見などを気にして、思い切った改革ができない場合が多いが、中国の主要の大学の場合、世界一になるため自ら知恵を絞るのが自分たちの使命であるとの気概を強く感じた。給与、人事、評価などに関し、同じ大学の同じ学部であっても、自らの考えや獲得資金状況で判断して決定できる自由度がある。

 このような状況を見て、日本の戦国時代に織田信長が推進したといわれる「切り取り自由」というやり方を思い出した。織田信長は配下の兵をいくつかの軍団に分け、それぞれの軍団の長に羽柴秀吉、柴田勝家、明智光秀などを配して、軍団同士を競わせた。そして、それぞれの軍団が敵から切り取った領土は、その軍団の取り分となるという大変明快なやり方を取った。中国の主要の大学のやり方は、その信長の「切り取り自由」に近いのではないかと思う。要するに、世界一になるという大きい方向は決めて金を出すが、後は各自が良いと思うことを自由にやれという感じである。こういう状況をみると、中国の大学は非常に強く、活気にあふれていると思う。

(4)豊富な研究資金

 各大学でインタビューに応じた教官は実力があり有名な人が多かったため、ほとんどの教官が自分の研究室の研究資金は十分に足りていると述べていた。

 長い間日本政府の科学技術政策の立案に携わり、大学の教員が有する研究費に対する渇望感を肌で感じていた筆者にとって、中国の主要大学の状況は大変うらやましいと感じた。有力教員が豊富な研究資金を有しているのは、民間企業との連携が進んでいることや、政府の研究資金が急激な伸びを背景に優秀な少数の研究者に対し選択的に研究費を振り向けることができることが理由であろう。

(5)優れた学生

 今回のインタビューで最も印象的であったのが、主要大学の教員の学生に対する信頼の高さである。自分の属している大学の最大の強みは何かと聞くと、ほとんどの教員が自分たちの学生の優秀さであると口をそろえて強調した。

 日本に留学した教員は日本の高等教育における東京大学の位置付けを十分に承知しており、それを前提に次のような話を複数の教員から聞かされた。東京大学に毎年入学して来る学生数は約3千人であり、北京大学、清華大学の入学生数も1学年3千人を若干超える程度である。しかし、同じ3千人でも選ばれて来る母数が違っており、東京大学の場合には日本の総人口1億3千万人の中の3千人、北京大学や清華大学では中国の総人口約13億人の中の3千人で、東京大学に比べると10倍程度倍率が高い。したがって優秀な人材も10倍いることになるというものである。母数が10倍であるから、選ばれた学生に10倍優秀な学生がいるかどうかは議論のあるところだが、北京大学や清華大学の教員や学生がそのような考えを持っていることを念頭に置いておくべきである。

 大学に入ってからの生活は、日本のアルバイトや部活を中心としたものと全く違い、大学の4年間に必死で勉強する。さらに、学部を卒業した後、トップレベルの学生は米国の有名大学などに留学する。一方それぞれの大学の大学院学生であるが、その半分は他大学から入学する。学部入試時にトップ大学に入れなかった学生は、全国の地方大学で4年間必死に勉学に励み、優秀な成績を持って大学院入試を受け、主要4大学の大学院生として入って来る。これら大学院入試を経て入ってきた他大学出身の学生と、海外に行かず学内で大学院に進学した学生たちが切磋琢磨する。そして博士号を取得した後、やはり優秀な人は米国などにポスドク修行に出かける。

 トップ大学の大学院生で恵まれているのは、理工系大学院の授業料はほとんどの院生で無料、これに加えて所属する研究室から生活費が支給される。支給される金額も研究室ごとに違っており、多くの研究費を集めて羽振りの良い研究室は沢山の生活費を支給できる。生活費を支給された大学院生は、研究室を主宰する教授の恩義に報いるべく必死に実験等に励むのである。

 このように、元々人口の多い中国人の中から激烈な競争で勝ち抜いた優秀な若者を入学させ、そのうえで学部入学時から博士課程卒業まで常に世界を目指して競争させている、との自負が中国のトップ大学の教授陣にある。これが、トップ大学の学生は世界的にも優秀であるという確信につながっている。

(6)国際化を目指す学生、院生

 日本の大学における国際性は受け身の国際性であり、外から見て国際的かどうかということを気にして、自分たちが国際的にどうやって活躍するかという視点がない。例えば、タイムズなどの大学国際ランキングで、東京大学が下がったというと、この順位を上げるため国際性が必要であるといった議論をする。そして、留学生が少ないとか、英語で授業していないとか、あるいは大学の教員の中に外国人がいないとか、本質的でない問題に振り回されてしまう。その結果、外国人留学生をもっと増やすとか、英語で授業をするとかといった表面的な対応に終始することになる。しかし、これらは大学の国際化の環境条件にすぎない。

 本当に重要なのは、国際的に通用する研究や教育を大学が実施することである。中国は、この点についての考えがはっきりしており、自分のところの教員と学生の国際化が重要と考え、これを徹底的に推進している。中国のトップ大学では、優秀な学部卒業生はできる限り海外留学するよう奨励するとともに、担当の教員が費用を出して修士課程や博士課程の大学院生を国際会議や海外研修等に派遣している。さらに、海外の大学での経験がない研究者は原則として教員に採用しないこととし、自分の大学で育てた博士取得者に対し海外で研究生活を送ることを強く奨励している。

(7)選び抜かれた教員

 両大学の強みは自分たち教員の質の高さにもあると、今回インタビューした教員は強調している。研究で存在感を示しているほとんどの教員は、日本や米国、欧州などの大学や研究所での教育・研究経験を有しており、世界の研究レベルを十分に認識したうえで、自分たちはトップレベルを走っているとの強い自信を持っている。

 中国のトップ大学では、実力で教員を採用するという考え方が徹底しており、出身大学は問わない、年齢や性別も問わないようにしているとの考えを何度も聞かされた。

 また、教員は非常に謙虚で、自分たちが学生から教えられるとか、自分はこの方面が強い逆に学生はこの方面が強いので合わせると世界トップレベルを目指せるといった発言もあった。とりわけ、北京大学化学分子工程学院の教授の「自分は材料専攻でありそれ程化学に強くないが、自分が教えている優秀な学生には化学に強い人もいてその学生から化学の知識を習うこともある」という発言に強い感銘を受けた。学生から教授が習うこともあると、外部の人間の前で堂々と言えるところに、逆にその教授の自信を見たのである。

 文革時や文革直後に大学教育を受けた世代の教員の中には、正規のきちんとした教育を受けていない教員もおり、トップレベル大学教員のレベルを引き下げているとの指摘があったが、我々が見る限りはそのような教員はあまり表に出ず、また研究費の配分も受けていないと考えられるので、大きな問題であるとは思われない。

(8)盛んな産学連携

 日本では大学は象牙の塔で、一般社会と世界が違っていたが、近年ようやく産学連携が叫ばれ、連携促進のための施策も多く実行されるようになってきた。中国では状況は全く違っている。国防関係の国営企業を別として、中国では一般企業はそれ程研究開発能力を有していない。このため、技術開発を自ら行うのではなく、外国から技術導入するか、大学や中国科学院などの研究所に頼る場合が多い。中国の大学にとっては、研究開発資金が流入して来るとともに、自ら開発した技術が実際に適用され産学連携が進むというメリットがある。

 データによれば、2019年で中国の大学の科学技術経費の実に26.2%が民間企業からの資金である。これは、日本の2.6%や米国の5.3%などと比較すると、非常に比率が大きいことがわかる。ただし、産業界が大学に研究開発能力を依存することはすべて良いことかどうか議論のあるところであり、大学としても後述する課題もある。 

(9)学生と教員との距離

 今回インタビューした教員には、日本の大学をよく知る人が多かったこともあり、日本の大学の課題は何かと質問したところ、多くの教員から指摘された点が学生と教員の距離感であった。日本の場合には身分の違いがはっきりしており、教員は教員、学生は学生ということで、画然と仕切られている。したがって、学生が教員に自由に意見を言ったりすることははばかられるし、ましてや疑問を呈したり反対の意見を言ったりすることはとてもできない。そして、これでは自由な意見を基礎として発展してきた科学の研究はうまくいかないと結論付けている。

 中国の大学の場合には、学生と教員は家族的な一体感でつながっており、比較的自由にものが言える。日本と米国を経験してきた教授に言わせると、米国の方がもっと徹底しており、学生と教員は同格であり、まったく対等に意見をぶつけ合うと感じたという。この点で、米国と日本は両極にあり、中国はその中間に位置するのではないかと述べていた。

2. 課題

 これまでは、中国の主要大学の良い面を述べてきたが、ここからは課題と思われる点について述べていきたい。

(1)基礎研究能力が今一歩

 今回教員にインタビューした際に、彼らが最も悩んでいる点として挙げたことが、世界のトップレベルの大学と比較して自分たちの大学が基礎研究で後れているという点である。インタビューした教員は日本留学組が多く、また米国の事情にも熟知した人が多かったが、すでに述べたように彼らは日本の大学の状況は良くない見本と考え、米国を自分たちのモデルにしようとしてきた。

 しかし、自分たちの大学で米国のモデルに従って研究活動を行うだけでは必ずしもうまくいかない場合が多いことに、気づき始めているように見える。優秀な研究員がいて、施設や装置も最新鋭になり、研究資金も欧米や日本並みに使用できるようになった。しかし、大学本来の使命である基礎研究でなかなか力が発揮できないのである。皮肉にも、後れていると断定した日本の大学では基礎研究の土壌が確実に構築されていることに気づいてきた段階ではないかと、筆者は推測している。 

(2)オリジナリティの欠如

 基礎研究の命はオリジナリティである。圧倒的な経済発展を背景に、世界トップレベルを目指している中国主要大学であるが、一つ一つの研究でオリジナリティを出していくという点では、まだ欧米や日本の一流大学には及ばない。

 典型的な例を挙げると、超伝導の産業化に大きな影響を与える可能性を持つ鉄系超伝導材料の研究である。2008年、東京工業大学の細野秀雄教授は、新しい鉄系超伝導物質を発見したと発表した。これは日本のオリジナルな研究である。ところが発表直後より、中国の大学や中国科学院の研究者が、鉄系超伝導に関連する新しい研究データを、ものすごい勢いで続々と発表した。中国では研究者が多く層が厚いため、このように方向のはっきりした研究では、世界的にも十分な存在感を発揮できることを証明した。しかし、いくら新しいデータを大量に出し、論文を数多く投稿したとしても、所詮は後追いの研究にすぎない。爆発的な研究活動のきっかけとなるオリジナルな研究については、中国はまだ弱い。鉄系超伝導を先導した細野秀雄教授を出せないのである。

 新しいオリジナルな研究は、単に大学で優秀な成績を収めたとか、米国等の外国に行って研究をした経験があるからだけで達成できない。オリジナリティが発揮できるようになるには、中国社会における学術や基礎研究の歴史と文化の蓄積が必要である。日本の大学において、欧米から自分たちの猿まねにすぎないと常に蔑まれながら、明治維新以降学術や基礎研究の経験を徐々に蓄積してきた結果、近年ようやくオリジナルと評価されるものが出てきている。その点、文化大革命以降極めて短期間に立ち上がった中国の大学において、オリジナリティを支える学術や基礎研究の蓄積がまだ足りないのであろう。とはいえ、日本人ができるなら中国人ができないはずがない。時間の問題であり、将来それ程遠くない時期に、中国の大学でもオリジナルと評価される研究が出現すると予想される。

(3)行きすぎた産学連携

 世界的に見ても中国の大学は産学連携が極めて盛んである。産学連携によるメリットはすでに述べたが、課題もある。産業側からすれば、研究資金を支出するのであるから、どうしても自分たちが使えるような技術の開発を強く要請してくる。産業側の出口を意識するあまり、研究の自由度を失ってしまい、オリジナリティのある基礎的な研究ができなくなるのである。

 米国や欧州のように、もともと産業界側にそれなりの研究開発能力があり、一方大学側に自由な発想に基づく基礎研究の土壌があって、この2つの協力によってどちらかのサイドだけではできない技術開発をするのが産学連携の基本である。中国の場合には、産業界側のポテンシャルが弱いために、大学側の研究開発能力が企業の資金によって買い取られているだけのように見える。今回インタビューした教員の中にもこの課題を十分に認識した研究者がいて、彼はしたがって企業からの研究資金を一切受けていないと述べていた。

 北京、清華両大学が真の意味で世界のトップとなるためには、大学と企業の距離感の修正が必要と考えられる。

(4)忙しすぎて、落ち着かない

 今回インタビューした教員はいずれも大変忙しく、中国国内は当然として、昨日帰国したとか、翌日海外に出発するとかという話もあって、広く米国や欧州、日本などを頻繁に往復している人がかなりいた。また、産学連携が非常に進んでおり、工学系の教員を中心に一般企業の役員を兼ねている人も散見され、その関係で企業や工場のある中国の地方都市への出張も頻繁になされているようであった。

 このような忙しさは、大学の研究にとって有意義であるかどうかは議論のあるところである。とりわけ、一般企業の役員の業務は、研究資金確保という意味では重要と思われるが、大学研究の本来の使命であるオリジナルな基礎研究を進めるということと両立しにくい。

 また、PI(Principal Investigator)となった教員の共通の悩みは、研究をバックアップする事務的な職員や技術者が少なく、なんでも自分で決め、実施しないといけないということである。競争的資金を獲得すると、PIは研究室の内装、レイアウト、装置などをすべて自分で決める必要があるし、部下の研究員の採用も自分で決めなくてはならない。日本の大学のように、折角競争的な資金を獲得しても大学側に召し上げられ資金を獲得するメリットが少ないというシステムとは全く逆で、米国の研究システムに近いと思われる。ただ、米国の大学の場合には、これまでの蓄積もあり事務的な職員や技術者などのサポート体制がきちんとしているが、中国の大学の場合この部分の負担が大きい。

(5)評価が近視眼的

 中国の大学における人事や研究成果に対する評価システムは、日本のようなぬるま湯の体制と違い、信賞必罰のシステムを採用している。ただ、基礎研究を中心とした学術に対する蓄積が少ないがゆえに、学術的な観点からの評価ではなく目に見え数値化できる論文や特許が中心となっている。

 このような数値的な評価を続けていると、大学の使命である基礎研究が育たないという反省が近年中国の主要大学で見られ、この機械的な指標による評価を改めようという機運が出てきている。    

(6)詰め込みでオリジナリティのない学生

 中国の主要大学の学生がいかに優秀でよく勉強するかはすでに述べたが、ではこれらの学生が研究者となった場合、欧米や日本の研究者と互角あるいはそれ以上に優秀な成果を挙げるかというと、現時点では難しいという意見もある。その理由として挙げられるのが、オリジナリティの欠如である。中国の優秀な学生は、徹底した受験戦争、その後の競争的な大学生活などのため、テストなどに優秀な成績を収めるための記憶力は抜群であるが、自分たちの頭で考え、後追いでない発想や研究を行う資質に欠けるとの意見である。

 学生がよく勉強することは事実であるが、よく勉強するのは研究が好きというより良い成績を収め良い会社に就職したいからである。一方日本の場合には、ほとんどの学生がバイトや部活で忙しく勉強しないが、ごくごく一部に研究が本当に好きな学生がいて、彼らが日本の大学の基礎研究力を担っていてうらやましい、という話を今回のインタビューで聞いた。

 中国の主要大学の希望は、学生の国際化である。中国の大学だけで閉じているのであれば、オリジナリティの欠如ということも問題になろうが、すでに見てきたようにトップレベルの学生や博士号取得者は、ほとんどが米国等の外国での経験を経る。その段階で中国での詰め込み教育の弊害などが是正されると考えられるため、将来の見通しは暗くないと筆者は考えている。

(7)院生数の制限

 すでに述べたように、日本の大学に比べてフレキシビリティの高い両大学であるが、それぞれの研究室に対する大学院生の数は、比較的厳重に管理されている。大学院生に対する教育の質を確保するためと考えられるが、具体的には1教授当たり大学院生は2名までに制限されており、中央政府や企業からの研究費の多い研究室でも、制限以上の院生を集められない。教員同士が貸し借りにより少しは融通が利くようであるが、大した数にはならない。

 中国の科学技術を支えている機関として、中国の大学と中国科学院が双璧であり、両者は競争と協力の関係にある。大学の教員から見て、自分たちは大学院生という研究スタッフを制限されているのに中国科学院は制限されていないため、大勢で体力勝負となるような研究ではどうしても中国科学院に後れを取る。したがって今回のインタビューでも、このような大学院生の制限に不満を述べる人が多かった。

 いろんな面で融通無碍なシステムを取る中国の大学で、この大学院生数の制限は不思議な気もするが、教育という面では已むをえない措置であるのかもしれない。