中国における科学者の政治家への転身について、日本国際貿易促進協会が旬刊誌として発行している「国際貿易」の2023年6月15日号に投稿した記事を、一部修正の上で紹介する。

はじめに

 今回は、中国における科学者の政治家への転身について述べたい。

 優れた科学者が政界で活躍する例は、世界全般で見られる。例えば日本では、東京大学総長や理化学研究所理事長を務めた故有馬朗人氏が、1998年に参議院議員に当選し、その後文部大臣と科学技術庁長官を務めた。
 また米国では、ノーベル物理学賞の受賞者である中国系のスティーブン・チュー氏が、オバマ政権でエネルギー長官を務めている。

陳竺衛生部長や万鋼部長も転身組

 中国でも科学者が政治家に転身した例はある。例えば、中国で食品の安全性の問題が発生した2007年に、衛生部長(日本の旧厚生大臣に当たり、現在国家衛生健康委員会主任と呼ばれている)に抜擢されたのが、当時中国科学院副院長であった陳竺氏である。
 陳竺氏は血液学が専門の医者・研究者で、フランス・パリ第七大学への留学経験もあり、難局を無事に乗り切った。その後、全国人民代表大会常務委員会で14名いる副委員長となり、中国の赤十字組織である「中国紅十字会」の会長にも就任している。

 もう一人の例は、昨年の故安倍晋三総理の国葬に、中国を代表して参加した万鋼氏である。
 万鋼氏はドイツに留学し、機械工学で工学博士の学位を取得した後、自動車メーカー・アウディの技術幹部となった。その後帰国して、2004年に上海の同済大学学長となり、2007年から10年以上にわたり国務院の科学技術部長を務め、中国の科学技術の躍進に貢献した。現在は、中国科学技術協会の主席を務めている。

上海市トップ陳吉寧氏は、英国留学の環境学者

 この様に、中国でも優れた科学者が政治家として抜擢される例があったが、今回習近平政権で科学技術・学術関係から新たなスター政治家が現れた。上海市の共産党委員会書記となった陳吉寧氏である。陳吉寧氏は、1964年に遼寧省で生まれており、現在59歳である。

陳吉寧の写真
陳吉寧氏 百度HPより引用

 陳吉寧氏は1981年に清華大学に入学し、同大学より環境工学の修士を取得して1988年に英国に留学した。英国では当初ロンドンのブルネル大学に入学したが、翌年インペリアル・カレッジ・ロンドンに移り環境システム分析工学を専攻して、1993年に博士の学位を取得した。引き続きポスドク研究員として同カレッジに残って研究を続行していたが、留学に出発してからちょうど10年後の1998年に帰国し、母校清華大学の環境科学・工学系の副主任に就任した。2006年には同大学の副学長に、2012年には47歳という異例の若さで学長に就任した。

 陳吉寧氏は、そこから政治家に転身し、2015年には国務院の環境保護部長(日本の環境大臣に相当)に就任し、李克強内閣で最年少の閣僚となった。2017年には北京市の副市長に転じ、2018年には北京市長となった。北京市長となった陳吉寧氏は、北京冬季五輪の執行責任者となり、平昌五輪閉会式でトーマス・バッハIOC会長から五輪旗を引き継いでいる。

 さらに、昨年10月に開催された中国共産党第20回全国代表大会で中央政治局委員に選任され、併せて上海市のトップである党委員会書記に就任した。中央政治局委員は、習近平総書記を始めとする7名の常務委員を含め、中国全体で24名しかいない極めて序列の高いポストである。また、上海市党委員会書記の前任である李強氏は、昨年秋の党代表大会で序列第2位となり、本年3月の全国人民代表大会で李克強氏の後任として国務院総理に就任している。近年の上海市党委員会書記経験者は、全て中央政治局常務委員となっており、さらに習近平氏も総書記に就任する直前の2007年に、短期間ではあるが上海市党委員会書記に就いている。このため、陳吉寧氏の59才という若さを考えると、さらに次のステップも期待される。

科学者の経歴を活かしての活躍に期待

 私は、中国ウォッチャーではあるが、科学技術や学術が専門領域であり、政治の専門家ではない。しかし、理工系で留学経験があり、博士の学位を取得しており、大学で教授、副学長、学長として活躍した人物が、国家の政策全般を指導する立場に就任したことは、将来の中国の科学技術や高等教育の進展に、大きな意味を持つと考えている。陳吉寧氏の今後の活躍に注目したい。