中国におけるライフサイエンス関係の近年の大きな動向として、SARS、食品安全性の問題などを紹介する。
1. SARS
(1)SARS概要
今世紀に入り中国は経済的に発展していったが、その途上で中国社会を大きく揺るがした事件として記憶されるのがSARSである。
SARSは「重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome)」のことであり、2002年11月に広東省で非定型性肺炎の患者が報告されたのに端を発し、インド以東のアジア諸国とカナダを中心に、多くの地域や国々へ拡大した。
中国では初期に305人の患者が発生し、うち5人が死亡した。翌2003年3月には、旅行者を介してベトナムや香港に飛び火した。世界保健機関(WHO)はこの時点で、原因不明の重症呼吸器疾患をSARSと名付け、全世界に向けて流行に関する注意喚起を行い、異例の旅行中止勧告を発表した。
原因究明が進められた結果、同年6月には新型のコロナウィルスによる病気と特定された。2003年7月にWHOによって終息宣言が出されたが、WHO の報告によると香港を中心に8,096人が感染し37か国で774人(致死率は約9.6%)が死亡したとされている。
(2)鐘南山
SARSアウトブレイク対応で、中国国内の陣頭指揮を執ったのが鐘南山(钟南山、Zhong Nanshan)博士である。
鐘博士は、1936年江蘇省南京市に生まれ、1960年に北京医学院(現北京大学医学部)を卒業し、同校の助教を務めたのち、1971年からは、広東省広州医学院第一附属医院の内科医となった。
文化大革命が終了した直後の1979年に、英国ロンドン聖バーソロミュー病院やエジンバラ大学医学部に留学している。
英国から帰国後の1986年に広州医学院呼吸内科教授に、さらに1995年に北京医科大学(現北京大学医学部)の呼吸内科教授となった。専門は、慢性気管支炎や喘息などの呼吸器疾患である。
鐘博士は、SARSウイルスの発見にも寄与し、終息に尽力したことにより「SARSとの戦いの英雄」と呼ばれている。
2. 食品の安全問題
(1)事件の概要
SARSに加え、中国社会を大きく揺るがしたライフサイエンス関係の事件として挙げられるのが、食品の安全性問題である。
計画経済時代の食料政策では量的確保が重視されたため、衛生面や品質面は軽視され制度的整備も十分ではなかった。
改革開放以降の1995年になって、ようやく食品衛生法が制定された。2001年にWTOに加盟し経済が発展するにつれ、都市部の消費者を中心とした国民が生活の質への向上を強く求めるようになり、食生活の高度化・多様化が急速に進み、肉製品、乳製品、缶詰の生産額が増大した。
その様な中で経済的利益追求のために悪徳業者が横行し、人体に健康被害をもたらす有害な食品が多数流通し、食品汚染問題が多発するようになった。
具体例を挙げると、2003年に各国で使用が禁止されているDDTが中国茶から検出され、2004年には安徽省で偽粉ミルクにより幼児が死亡する事件が発生した。同年、四川省で作られた漬物から残留農薬が検出され、また理髪店から回収された人毛からアミノ酸を抽出加工して作られた人毛醤油が日本など外国へ輸出されていると報道された。2005年には禁止されている着色料スーダンレッドが、食品添加物として使用されていることが判明した。
中国政府は、2003年3月に「食品安心プロジェクト」や「食品安全行動計画」を策定したが、相次ぐ事件の発覚で国民の不安は収まらず、2007年6月、当時の高強衛生部長を降格させ、後述する陳竺中国科学院副院長を同部長に抜擢した。
2007年に国家食品薬品安全第11次5か年計画が発表され、2009年には食品安全法が施行され、この問題も漸く落ち着きをみせた。
(2)陳竺
食品の安全性への不安の高まりを受けて、行政トップの衛生部長(現在の国家衛生健康委員会主任、日本の旧厚生大臣に当たる)となったのは、研究者の陳竺であった。陳竺は中国共産党党員ではなく、無党派の閣僚就任は新中国建国以来3人目であった。
陳竺(陈竺、ZhuChen)は1953年に江蘇省に生まれ、1981年に上海第二医科大学(現在の上海交通大学医学院)で修士号を取得の後フランスに留学し、1989年パリ第7大学で博士号を取得した。
その後1990年に上海に帰国し、上海第二医科大学附属瑞金病院の教授となり、2000年10月から中国科学院副院長を務めていた。専門は血液学、分子生物学で、臨床経験も持つ。
日本との関係も深く、上記の写真は東京大学と中国科学院の協力プロジェクト発足式のものである。
陳竺は2013年に衛生部長を退任したのち、中国共産党以外で認められている党派の一つである農工民主党主席として、中国の国会に当たる全国人民代表大会の常務委員会で14名いる副委員長を務めている。
また、2015年からは中国の赤十字組織である「中国紅十字会」の会長でもある。
3. 最近のライフサイエンス研究
現在、中華人民共和国が成立して70年以上が推移し、改革開放以降の弛まぬ努力を経て、中国の科学技術は世界的な注目を集めるほど大きな成果を挙げており、科学技術の全体的な能力は向上し続けている。
中国の科学技術のレベルは、重要な分野で世界の上位に躍り出ており、一部の先端分野で先進国をリードする段階に入るようになった。とりわけ論文や特許などの面では、現在欧州諸国や日本を圧倒し、世界ナンバーワンの米国をも凌駕する勢いとなっている。
ライフサイエンス研究も同様であり、20世紀末までは動植物学や中医学を中心とした医学、農学といった新中国建国以前から存在していた学問が中心であり、近代臨床医学や基礎生物学の中でも細胞生物学、分子生物学、再生生物学などの分野では、欧米がはるかに先を行っていて、文革の空白期の影響もあって中国の研究は後れている状況にあった。
しかしその後の中国政府の積極的な政策もあり、欧米や日本で研鑽を積んでいた有力な研究者が続々と帰国し、21世紀に入ってからは中国国内の基礎生物学、医学、農学などの分野の研究を世界的な水準に押し上げている。とりわけ最先端のゲノム科学やゲノム編集の研究は、世界でも米国と同等の成果を挙げていると言われている。
さらに、近年発生したゲノム編集技術による人間のベビーの誕生など、他の国では忌避されている研究が行われてきたことなどが、国際的な話題となっている。
これら近年の中国におけるライフサイエンスの動向については、こちらを参照されたい。