中国が誇る科学技術総合組織である中国科学院について、日本国際貿易促進協会が旬刊誌として発行している「国際貿易」の2023年5月5日号に投稿した記事を、一部修正の上で紹介する。

世界最大の科学技術機関・中国科学院

 中国科学院は、中華人民共和国建国直後の1949年11月に、国務院直属の機関として設置された。中国科学院は、研究開発機能、優れた科学者の顕彰機能、人材を育成するための高等教育機能と、大きく三つの役割を有している。

研究開発機能

 一つ目の研究開発機能であるが、傘下に百を超える研究機関があり、職員総数は約七万名、予算規模は約一兆円と、世界最大の研究機関である。研究機関の所在地は、北京や上海だけではなく中国全土に分布しており、世界最先端や中国各地方のニーズに合わせた研究開発を実施している。

 中国科学院は設置以来、研究者数では世界有数の機関であったが、研究費が少なく研究施設や装置が旧式であったため、研究成果はそれほどでもなかった。
 しかし前世紀末から21世紀初頭の爆発的な経済発展を受け、中国の科学技術投資が増大し、中国科学院の研究成果は大幅に躍進しており、現在では様々な点で世界トップにある。例えば、ネイチャー、サイエンス、セルなど国際的なハイレベルの論文誌に掲載された論文数でランク付けしているネイチャー・インデックス2022を見ると、中国科学院はダントツの世界一位であり、二位の米国ハーバード大学の約二倍の論文数となっている。

 中国科学院は、研究開発を支える先端的な施設・設備においても、中国全体を牽引している。例えば、現在の第十四次五か年計画では、北京市懐柔地区、上海市張江地区、安徽省合肥市、広東大湾区の四か所に、総合的な国家科学センターを建設することになっているが、この全ての地区で主要な施設・設備を建設しているのが中国科学院傘下の研究機関である。

科学者顕彰機能

 二つ目の優れた科学者の顕彰機能であるが、これは「院士」と呼ばれる称号で有名である。中国科学院の設置直後に、新中国における科学技術政策の企画立案に関し外部の科学者の協力と助言を求めるため発令した「学部委員」が、その前身である。学部委員は英語でアカデミシャンであり、欧米やロシアの科学アカデミーを範とするものである。日本で言うと、日本学士院会員に相当する。文化大革命後に名称が変更され、中国科学院の院士となった。

 中国では、全ての科学者が院士を目指して日夜研究開発に励んでいると言われるほど、格の高い称号となっている。中国科学院は、設立当初は人文・社会科学の研究機関を有していたが、文革後に中国社会科学院として独立した。ただ中国社会科学院では、現在でも院士に称号を変更しておらず、学部委員を使用している。また、1992年に工学系を中心に中国工程院が中国科学院から独立しており、こちらは中国工程院の院士となっている。

高等教育機能

 三つ目は、高等教育機能である。

 建国直後の科学技術系人材不足に対応するため、1958年に中国科学院直属の中国科学技術大学が設置された。
 また、中国科学院の設置直後から傘下の各研究所では大学院生を研究生として受け入れ大学院教育を実施してきたが、現在これが発展して北京郊外の懐柔区を中心とする中国科学院大学となっている。
 さらに2014年には、上海市と協力して上海科技大学を設置している。上海科技大学の学長は、先般亡くなった江沢民元国家主席の長男である江綿恒・元中国科学院副院長が、創設以来学長を務めている。

 これら三大学は、いずれも中国を代表する大学に発展している。

初代院長は日本と関係の深い郭沫若

 最後に、日本との関係に触れたい。

 中国科学院の初代院長は、文人で政治家でもあった郭沫若である。彼は日本に留学し、岡山の第六高等学校と九州帝国大学を卒業し、文人、歴史家、革命家として、日本や中国で活躍した。

 二番目の妻は日本人女性であり、千葉県市川市に家族と一緒に居を構えていた。郭沫若は新中国建国後、周恩来を補佐する政務院副総理となり、併せて中国科学院の初代院長となった。

郭沫若一家が住んだ市川の邸宅
郭沫若一家が住んだ市川の邸宅

 郭沫若は、周恩来総理や日本の松村謙三元文部大臣らと共に、日中国交回復にも尽力している。文革終了後の1978年に病気で亡くなるまで、中国科学院の院長の職にあった。

松村謙三と握手をする郭沫若
松村謙三と握手をする郭沫若

参考資料

・中国科学院HP https://www.cas.cn/