はじめに
人工衛星の打ち上げによる宇宙の利用が開始されて以来、最も活用されている分野が放送を含む通信分野である。これは、宇宙に打ち上げられた人工衛星のコントロールが、電波を用いて行われることと密接に関係している。通信も放送も、元々電波により顧客や家庭に届けられるものであり、より遠くへ届けるために宇宙を利用しようとするのが、衛星を用いた通信放送技術である。
1.衛星通信放送の歴史
映画「2001年宇宙の旅」の原作者で英国のSF作家であるアーサー・C・クラークは、1945年に「静止通信衛星を3機、120度間隔に並べて世界通信網を作成する」というアイディアを発表した。1957年にソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功したことにより、クラークのアイディアは一気に実用化に近づくことになる。
1958年12月、米国はアイゼンハワー大統領のクリスマスメッセージの入った録音テープを載せたスコア衛星を打ち上げ、宇宙から短波によりメッセージを発信することに成功した。人工衛星を用いた宇宙からの放送の幕開けである。スコア衛星の場合には、予め衛星上に搭載されていたテープを地上の指令により宇宙から発信したものであり、地上から宇宙へ、そしてまた地上へという経路を取っていなかった。
1960年8月、米国は金属製の反射板を有するエコー衛星を打ち上げ、地上と宇宙の間で電波の反射を利用した電話、伝送実験に成功した。ただ、この反射板では電波の増幅機能を有していないため、地上送り出し側の電波の強度を大きくする必要があり、実用的ではなかった。
そこで開発を急がれたのが、衛星に搭載し宇宙で利用できるトランスポンダー(中継器)である。トランスポンダーというのは、地上からの微弱な電波を衛星上で受信し、電波の強度を増幅して異なった周波数で再び地上に向けて送信する機器である。
トランスポンダーを載せた最初の衛星テルスター1号は米国ベル研究所によって開発され、1962年7月に打ち上げられた。これにより、テレビや電話の大西洋横断中継実験が成功し、米国、英国、フランスの間で実験がくり返された。
続いて同年12月に打ち上げられたのは、NASAが開発したリレー1号である。日本は米国と衛星通信の実験に関する取り決めを結び、翌1963年11月にリレー1号による第1回日米間衛星通信テレビ伝送実験を実施した。この実験放送中にケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたニュースがテレビ放映され、その映像は当時のテレビ視聴者に強い印象を与えた。
テルスター衛星やリレー衛星は、地球を周回する衛星であったため、送信側と受信側の2地点から同時に衛星が見える時間が短く、その時間帯も毎日変わっていくことが実用上大きな問題であった。
これらの問題を解決するために開発されたのが静止通信衛星である。赤道上空の高度約35,786キロメートルの円軌道に置かれる衛星で、地球の自転周期と同じ周期で地球を周回するため地上からは上空のある一点に静止しているかのように見える。
1964年8月に、米国NASAはシンコム3号を打ち上げ、太平洋の日付変更線上に静止させた。この衛星により、同年10月に開催された東京オリンピックのテレビ画像が、米国およびカナダに生中継された。
国際的に静止衛星を共有し通信や放送の業務に利用するため、1964年8月にインテルサット(INTELSAT、国際電気通信衛星機構)が設立され、翌年4月にインテルサット1号(アーリーバード)が打ち上げられ、大西洋上に静止した。日本もインテルサットに参加していたが、1967年1月に打ち上げられ太平洋上に静止したインテルサット2号(ラニバード)を用いて商業利用を本格化させた。
当初衛星通信は、米国と欧州、米国とアジアという大陸間通信から始まったが、衛星の性能向上と低コスト化などに伴って、次第に国内での通信にも利用されるようになっていく。ソ連では、1965年4月にモルニャ1号を打ち上げ、通信衛星を用いた国内通信を開始した。この衛星は長楕円軌道で静止衛星ではないが、同一軌道に3~4つの衛星を打ち上げ切り替えていくことで24時間の通信を行った。以後、カナダは1972年11月国内通信衛星アニクを、米国は1974年4月にウェスターを、それぞれ米国から打ち上げ、利用を開始した。
2.通信放送衛星の種類
通信衛星とは、マイクロ波による無線通信を目的として宇宙空間に置かれる衛星の総称であるが、特定の用途に用いられるものは別途の名称を持っていることがあり、代表的なものが放送衛星で衛星放送専用に設計・製作された人工衛星である。日本ではNHKが放送衛星の開発運用を先導的に行ってきており、1978年ゆり1号での実験を経て、1984年に打ち上げられたゆり2号aにより、世界初の直接受信衛星放送に成功した。
現在も、NHKと民放でBSAT衛星シリーズを打ち上げ、運用している。なお日本には、通常の静止通信衛星を用いたテレビ放送も行われており、こちらはCS放送といわれている。
インターネット衛星も通信衛星の一種であるが、衛星内部にルーターを搭載することによってインターネットに接続が可能である。また、すでに第三章の追跡管制のところで見たように人工衛星を24時間コントロールするためには、地球の裏側にも電波を届ける必要があり、そのために用いられる通信衛星がデータ中継衛星である。
3.中国の通信放送衛星開発
中国では、1984年に通信技術試験衛星である東方紅2号の打ち上げに成功しているが、静止通信衛星開発は比較的遅く、1998年に西昌衛星発射センターから打ち上げられたSINOSAT1号が最初である。この衛星は中国で初めての大型静止通信衛星であったが、この時点では中国国内に設計製造能力は無く、フランスで設計製造された衛星であった。
後続のSINOSAT2号では、国産の東方紅4型バスを用いた国産の衛星となり、2006年10月に打ち上げられたが、アンテナと太陽電池パネルの展開に失敗し、使用不能となった。このため、SINOSAT3号では、一つ前の衛星バスである東方紅3型を用い、2007年3月に打ち上げられ、無事に東経125度の位置に静止した。
東方紅4型衛星バスを用いた静止衛星については、2008年10月打ち上げのベネズエラから受注した静止通信衛星で漸く成功した。
それ以降中国は、国所有、通信会社所有、軍事目的といくつかの用途で、数多くの通信放送衛星を打ち上げており、2017年末で61基(うち41基が静止衛星)となっている。
4.衛星通信放送技術の開発
衛星通信放送は商用化が最も進んだ衛星利用分野であり、様々な技術開発が進んでいる。技術開発の主な方向としては、静止衛星のラインアップ拡大(大型化、小型化)、トランスポンダー数の増大、新たな周波数帯域の利用、移動通信向けの大型アンテナ技術、伝送容量の拡大、光通信を含む衛星間通信技術などがある。
通信技術は日進月歩であり、開発された技術を宇宙で実証することを目的とする衛星の打ち上げが必要となる。これらに用いられる衛星は技術試験衛星といわれている。
世界の状況を見ると米国の技術開発力が圧倒的である。米国は1980 年代まで衛星通信に関する最先端技術を常に世界に先駆けて開発しており、技術的に成熟している。欧州ではESAが先端的な通信技術を開発する一方、多国籍化した欧州の衛星製造企業が連携して大量生産体制を構築し、米国に対抗している。日本は、通信技術試験衛星かけはし、データ中継衛星こだま、衛星間光通信実験衛星きらり、技術試験衛星きく8 号、超高速インターネット中継衛星きずななどを打ち上げ、多くの技術成果を生みだしている。
中国は東方紅4型バスで世界水準の通信放送衛星を開発しており、データ中継衛星天鏈1 号も開発している。しかし、米国、欧州、日本などと比較すると、中国ではこれら先進地域で開発された技術の習得と実用化が中心であり、いまだに最先端の技術開発が行われているとはいえない状況が続いていた。
しかし近年、状況が変化してきており、中国は2016年8月に世界に先駆けて、量子通信の実験を目的に「墨子」という衛星を打ち上げた。量子通信は、量子力学の原理を利用した量子暗号化による通信であり、理論的に根拠が明らかな堅牢な安全性を特徴としている。量子通信の原理は、オーストリアのインスブルック大学Anton Zeilinger教授(2022年ノーベル物理学賞受賞者)の着想であるが、そこに留学し量子通信技術の開発に大きく貢献しているのが、中国科学技術大学の潘建偉副学長である。中国政府は、この潘副学長の研究開発を全面的にサポートしており、地上での実験に成功を収めた後、宇宙と地上をつないで実験するために、この墨子衛星を打ち上げたのである。
5.中国の衛星通信放送会社
中国衛星通信集団有限公司(China Satcom)は、中国航天科技集団有限公司(CASC)傘下の通信放送会社であり、中国本土はもとより、オーストラリア、東南アジア、中東、欧州、アフリカの国々に対し、通信と放送のサービスを提供している。HPから現在運用中の衛星を見ると、中星(China Sat)が5A、5B、6B、9、9A、10、11、12、15、16の各号で10機、APSTARが5、6、7、9の各号で4機、合計で14機の通信衛星を運用している。これらの衛星バスのメーカーを見ると、打ち上げの古いものは欧米製のものが多く、近年打ち上げられたものは東方紅4型バスを使用している。欧州のターレス・アレニア社製が5機、米国のロッキード・マーチン社製が1機、スペースシステムズ・ロラール社製が1機、中国の東方紅4型が7機となっている。
香港系の衛星通信企業として、1988年創立のアジア衛星通信 (AsiaSat)社があり、現在7機の通信衛星を運用し、アジア太平洋地域の通信需要に対応している。
中国にはもう一社、アジア・ブロードキャスト・サテライト(ABS)社があり、2006年に設立された新興の衛星通信企業である。本社は英国領バミューダに登録されており、香港に支社がある。中国だけでなく、フィリピンやベトナムなど東南アジア諸国の顧客を獲得している。さらに欧州にも市場を広げている。現在運用中のABS社の衛星は7機である。
これら中国の通信会社が世界的にどの程度の存在感があるかであるが、売上げ世界トップの企業はルクセンブルグとワシントンを本拠地とするインテルサット社、2位もルクセンブルクに本社を置くSES社、3位はフランスに本社を置くユーテルサット社である。上記のChina Satcom社が9位、AsiaSat社が16位、ABS社が19位となっている(いずれも2014年時点)。
6.国際的な比較(2019年時点で)
以下の記述は、2019年の時点でのものである。したがって、2023年現在では少し変化していると想定されるが、参考としてそのまま掲載する。
JST報告書では、技術開発、ミッション、企業の3つの要素で評価しており、その結果が次表である。このうちミッションというのは、どのような分野で衛星通信放送が使われているかを指標とするものであり、テレビ放送、遠隔教育、遠隔医療、移動体通信などの分野で分析している。また企業は、衛星通信放送企業の数と売上高で比較している。
表 衛星通信放送 評価結果(2015年版)
評価項目 | 満点 | 中国 | 米国 | ロシア | 欧州 | 日本 |
技術開発 | 10 | 1 | 10 | 1 | 9 | 5 |
ミッション | 5 | 3 | 4 | 2.5 | 3 | 3 |
企業 | 5 | 3 | 4 | 2 | 5 | 2 |
合計 | 20 | 7 | 18 | 5.5 | 17 | 10 |
衛星通信放送については米国と欧州が強く、続いて日本、中国、ロシアの順となっている。中国が劣っているのは、技術開発の評価である。中国は、大きな人口と国土を生かし、ミッションや企業で優れているものの、元々の技術では欧米発のものが中心であり、新たな技術開発が進んでいないため、このような結果となっている。
ただし、近年の状況として中国は墨子などを打ち上げており、2015年時点での評価より技術開発の評価が幾分上昇していると想定される。